ニュー・ミュージック

どうもです。最近めっきり寒くなりましたね。
もうすぐ冬が本格的に到来するのでしょう。皆様体調を崩さないようお気をつけ下さい。
さてここのところ追悼の意味も込めて、ルー・リード関係のエントリを連続で書いていましたけど、今回は初心に戻って80年代エレポップを取り上げてみたいと思います。


今回取り上げるのは、80年代初頭に英国でちょっとだけ売れた、ニュー・ミュージックです。日本でもオシャレ系の人の間で、それなりに知られてはいたみたいです。
普通ニュー・ミュージックというと、70年代後半から80年代前半にかけての日本のシンガーソングライターの作品を指していて、広辞苑にまで載っているくらいなんですが、個人的にはニュー・ミュージックというとこのバンドを連想してしまうのですね。
また中心人物のトニー・マンスフィールドは、のちにプロデューサーとして活躍していて、80年代の英国のエレポップを好きな人は、知らない間に彼の関わった作品を聴いていると思います。


ニュー・ミュージックは77年に、英国ロンドンで結成されました。メンバーはマンスフィールド(ヴォーカル、ギター、キーボード)、トニー・ヒバート(ベース)、フィル・タウナー(ドラムス)、ニック・ストレイカー(キーボード)の4人です。
メンバーのうちマンスフィールドとヒバート、ストレイカーは学校の友人同士だったようです。唯一タウナーだけはバグルズの『Video Killed The Radio Star』で、セッション・ミュージシャンとしてドラムを叩いたという経歴を持っていました。
マンスフィールドは南ロンドンのスタジオで、セッション・ミュージシャン兼見習いエンジニアとして働きつつ、マスターテープを完成させ、CBS傘下のGTOレーベルと契約を果たします。
この頃ストレイカーが脱退し(その後デニス・ボーヴェルやリントン・クウェシ・ジョンソンと活動した)、クライブ・ゲイツ(キーボード)と交代しましたが、バンドは79年10月にシングル『Straight Lines』で無事デビューしました。


New Musik - Straight Lines


デビューシングル。全英53位を記録しています。
エレポップと言うよりはニューウェーブな感じ(実際この頃の彼らは、シーケンサーすら使っていなかった)ですが、メロディはビートルズの影響を強く受けた非常にキャッチーなもので、なかなか良い曲です。
シンプルかつキュートに仕上がっていて、当時のエレポップ勢の中でも清涼感や上品さは頭抜けていたと思います。


New Musik - Living By Numbers


80年リリースの2ndシングル。全英13位を記録し、バンド最大のヒットとなっています。
爽やかで甘酸っぱいメロディと、ギターポップとエレポップの中間とも言うべきサウンドが光る作品です。彼らの本質が60年代バブルガム・ポップの80年代的再現にある、ということがよく分かりますね。
またこの曲をきっかけに、日本との繋がりもできました。80年にYMO高橋幸宏が、加藤和彦のアルバム『うたかたのオペラ』のレコーディングのために、細野晴臣とともにドイツのハンザ・スタジオを訪れた際、偶然この曲を聴いて感銘を受けるのです。
ニュー・ミュージックのメンバーもYMOのファンだったため、彼らにインタビューした音楽評論家の水上はるこ(元ミュージックライフ誌編集長)を通じてコンタクトが取れ、YMOの2回目のロンドン公演の時には、メンバーがYMOの楽屋を訪れるなどの交流が始まっています。
この頃ニュー・ミュージックは日本でレコードのリリースがなかったのですが、高橋の口利きでエピック・ソニーからアルバム『From A to B』のリリースが決定したということもありました。ライナーも高橋と糸井重里(糸井は帯のコピーも担当している)が書いていましたっけ。
また高橋がDJを務めるオールナイト・ニッポン、高橋の同僚である坂本龍一がDJを務めたサウンド・ストリートでも、ニュー・ミュージックの曲はよく流れており、YMOのメンバーは彼らをかなり気に入っていたようですね。
その後マンスフィールドは、高橋のソロアルバム『NEUROMANTIC』『WHAT,ME WORRY?』にキーボードとバッキング・ヴォーカルとして参加もしています。


New Musik - This World of Water


これも80年リリースの3rdシングル。全英31位。
これまでの作品に比べるとぐんとテクノポップ度が増し、日本のエレポップ好きの間でも人気が高かった曲です。


この年の5月、彼らは先述したデビューアルバム『From A to B』をリリースしています(全英35位)。
先にリリースした3枚のシングルを含むこのアルバムは、馴染みやすいメロディーをシンセやテープループ、ホワイトノイズなどで味付けし、人工的な雰囲気を出したもので、かなりのオリジナリティを感じましたね。


New Musik - Sanctuary


『From A to B』からのシングル。全英31位。
どちらかと言うと『Living By Numbers』路線のシンセ・ポップで、非常に分かりやすいナンバーです。
彼らはこの曲をメインにした編集盤『Sanctuary』で、アメリカにも進出を図りますが、これは見事に失敗しました。


翌81年、ニュー・ミュージックは2ndアルバム『Anywhere』をリリースします。
その直前に高橋幸宏のレコーディングに参加して、大きな影響を受けたマンスフィールドは、シーケンサーやイミュレーターなどをレコーディングに持ち込み、プログラミング主体のサウンドを作り上げたのです。
後年の彼のプロデュースの原点となった作品なのですが、これはまったく売れず、シングルはチャートインせずアルバムも全英68位という惨敗に終わりました。
ただ作品としての出来は悪くないので、テクノポップ好きの人は押さえておいて間違いないと思います。


New Musik - They All Run After the Carving Knife


『Anywhere』からのシングル。
イントロが思いっきり機材いじりを楽しんでいる感じで微笑ましいんですが、曲自体はポップで親しみやすいです。


その後ヒバートとタウナーが脱退し、後任にクリフ・ヴェナー(パーカッション)が加入、バンドは82年に3rdアルバム『Warp』をリリースします。
このアルバムではポリフォニック・シンセやサンプラーが導入され、ベースはシンセベース、ドラムはシモンズ*1に換え、さらに大胆にテクノポップに接近しています。
またYMOブライアン・イーノナイル・ロジャースマイケル・ナイマンなどの影響も強く感じられる、実験的な要素もかなり取り入れられた意欲作でした。今でもテクノ好きの人の間では評価が高いですね。


New Musik - Warp


Warp』のタイトルナンバー。シングルカットもされています。
前作までの分かりやす過ぎるくらいのポップさは後退している気もしますが、音はクールな感じで悪くありません。


New Musik - All You Need Is Love


Warp』収録曲。ビートルズのカバー。
すごくテクノな感じでありながら、ビートルズらしさも失われておらず、マンスフィールドビートルズ愛が伝わってきます。


しかし『Warp』はまったく売れず、その売り上げ不振も手伝ったのかGTOレーベルも倒産したため、ニュー・ミュージックは解散状態に陥ってしまいました。
未だに正式な解散アナウンスは出ていませんが、今後活動再開することはまず考えられないので、自然消滅的な感じで終わってしまったと考えてもよいでしょう。
その後マンスフィールドは、キャプテン・センシブルの『Women & Captains』のプロデュースを担当し、『Happy Talk』を全英1位のヒットにしたことをきっかけに、プロデューサー業に専念することとなります。
80年代は彼の全盛期で、a-haの『Take On Me』(ノルウェー盤)、アズテック・カメラの『Walk Out To Winter』(WEA移籍時にリリースしたリメイク)、ダムドの『Lovely Money』、B-52'sの『Bouncing Off The Satellites』、ネイキッド・アイズ、マリ・ウィルソンなど多くの作品を手がけ、大きな商業的成功を収めています。カジャグーグーやホリー・ジョンソン(元フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド)のプロデュースも頼まれましたが、多忙のため断ったこともあるそうです。
90年代に入ると彼の手法は時代に取り残される形となり、あまり活躍が見られなくなりますが、高橋幸宏と元ジャパンのスティーブ・ジャンセンのコラボに参加したり、遊佐未森のアルバムのプロデュースなどもしていました。
21世紀初頭にラトビアのバンドをプロデュースした後は、彼の名前はまったく聞かなくなりましたが、今は何をしているんですかね。
今なら一周回ってまた新しく聴こえるかもしれないので、また復活してそのポップ職人ぶりを見せてほしいものです。

*1:80年代に一世を風靡した電子ドラム。六角形のパッドが特徴的。日本でもC-C-Bが使っていたことで有名。