アンダートーンズ

実は今週弟の結婚式(とっくに籍は入れて同居もしているけど、改めて式を挙げるそうで)があるので、いろいろ準備に忙殺されております。
というわけでして今回は、活動期間の短かったバンドを取り上げて、軽めの更新にしたいと思っています。
しかし40代も後半になってから、兄弟の結婚式に出ることになるとは思わなかったです。こちらは新郎の独身の兄なうえ、向こうの親族とはほとんど会ったことがないので、気の重いこと重いこと(苦笑)。


今回取り上げるのは、パワーポップ初期に活躍したバンド、アンダートーンズです。
あまり覚えている人はいないかもしれませんが、代表曲の『Teenage Kicks』は、パンクやニューウェーブのコンピレーションには必ずと言っていいほど入っているので、この曲だけは知っている人が多いかもしれません。
彼らの特徴はパンキッシュな音作りでありながらあくまでポップなところ、そしてフィアガル・シャーキーのアイリッシュ・ソウル魂溢れる、独特の節回しのヴォーカルでしょうか。
ラモーンズを彷彿とさせる短くて勢いのある曲(あそこまでワンパターンではないけど)は、今聴いてもなかなか歯切れ良く、メロディック・パンクに通じるところもあるのではないかと思います。


アンダートーンズは75年に北アイルランドのロンドンデリーで、ジョンとダミアン(二人ともギター)のオニール兄弟が、シャーキーと出会ったことがきっかけで、友人のマイケル・ブラッドリー(ベース)、ビリー・ドハーティ(ドラムス)を集めて結成されました。
もともとはグラムロックボブ・ディランフェイセズのカバーなどを演奏していましたが、ちょうどこの頃勃興したパンク・ムーブメントに影響され、自作曲を作るようになり、あちこちにデモテープを送るようになります。
そして78年9月、北アイルランドベルファストにあったインディー・レーベル、グッド・ヴァイブレーションからEP『Teenage Kicks』をリリースすると、その内容の良さからBBCの有名なDJ、ジョン・ピールの目に止まることとなるのです。
彼らを気に入ったピールは、自分の番組でアンダートーンズをオンエアしまくるなど強力にプッシュしたため、その甲斐あって彼らの注目度は急上昇し、結果ラモーンズトーキング・ヘッズなどで有名なサイアーと契約、78年にメジャーデビューを果たしました。


The Undertones - Teenage Kicks


彼らのメジャーシングル。全英31位。デビューアルバム『The Undertones』(全英13位)にももちろん収録されています。
この曲はパンク、ニューウェーブ期を代表する名曲ではないでしょうか。シンプルな展開の中にもしっかりとフックがあって、印象に残りますね。
後にグリーン・デイフランツ・フェルディナンド、バズコックスなどがカバーするなど、後進(バズコックスは先輩だけど)にも大きな影響を与えています。
北アイルランドという政情不安な場所から出てきたバンドだけに、歌詞は政治的なのかと思いきや、若気の至りみたいな性衝動を歌ったラブソングなところも、なかなか可愛げがあって良いです。
のちにインタビューで知りましたが、当時の北アイルランドの情勢では、逆に政治的な情勢を歌わないことは、ある意味勇気のいることだったそうです。そのへんに当時の事情が窺えると同時に、彼らの曲が普遍性を獲得する一因にもなっていると思います。
ちなみにアンダートーンズを見出したピールはこの曲が大のお気に入りで、「自分の葬式にはこの曲をかけてほしい」と普段から公言するほどでした。
ピールは04年に休暇中のペルーで、心臓発作を起こして65歳で急死しましたが、葬儀では実際この曲がかけられたそうです。また08年に立てられた彼の墓碑には、この曲の歌詞の一節「Teenage dreams, so hard to beat」も刻まれているとか。


The Undertones - Jimmy Jimmy


『The Undertones』からのシングル。79年に全英16位のヒットとなりました。
ザコンの男の子をからかっている、ユーモラスな歌詞の曲なんですが、メロディはチャーミングでなかなかの出来になっています。
ちなみにこのシングルのジャケットには、シャーキーが少年時代ソングコンテスト芸術祭で優勝した時の、地方紙に載った写真が使われていました。


The Undertones - Here Comes The Summer


これも『The Undertones』からのシングル。全英34位。
2分にも満たない非常に短い曲ですが、適度な軽さとスピードがあって、夏バージョンのラモーンズみたいでいいですね。。
なかなかノリがいいためか、ライブでの定番曲にもなっています。


The Undertones - My Perfect Cousin


2ndアルバム『Hypnotised』(邦題は『僕のいとこはパーフェクト』。全英6位)からのシングル。全英9位と彼ら最高のヒットとなりました。
出来のいい従兄弟と比べられてムカついているという他愛のない歌詞を、シンプルな演奏とポップなメロディーに包んだ名曲ですね。
ラモーンズのメンバーがこの曲を聴いて衝撃を受けたという噂もあり、『Teenage Kicks』と並んで彼らの代表曲なんじゃないでしょうか。


The Undertones - Wednesday Week


これも『Hypnotised』からのシングル。全英11位のヒットを記録しています。
この曲もポップで明るく60年代っぽく、なかなか良いんじゃないかと思いますね。


この後彼らはサイアーを離れ、EMI傘下のアーデックというレーベルへ移籍します。
それがきっかけかどうかよく分かりませんが、だんだん彼らは軽快なパワーポップから、60年代ガレージパンクやサイケの影響下にある音へと変化していきました。


The Undertones - It's Going to Happen


81年の3rdアルバム『Positive Touch』(全英17位)からのシングル。全英18位。
今までのパンキッシュな路線から一転して,サイケやソウル、R&Bの要素が感じられる音になっていますね。
もちろんメロディーは一級品なので、これまでの音を意識しなければなかなか良い曲だと思います。


しかしこの路線変更は、明るくパンキッシュなパワーポップという彼ら最大の売りをなくしてしまうこととなり、83年リリースの4thアルバム『The Sin of Pride』は全英43位という惨敗に終わります。
これをきっかけにもともと確執のあったオニール兄弟とシャーキーの仲は悪化し、結局シャーキーが脱退してしまい、バンドは空中分解することとなるのです。
シャーキーは従兄弟が駐日アイルランド大使を勤めるなど上流階級の出身で、ミドルクラスである他のメンバーとは最初から反りの合わない面もあったようですね。


オニール兄弟は85年にザット・ペトロール・エモーションというバンドを結成し、地味ながらポップでグルーヴィーな音を出していました。
しかし良質な音楽を作ってはいたもののいかんせん地味だったため、商業的な成功には恵まれずに、93年に解散する事となってしまいます。
その後はしばらく音沙汰がなかったんですが、99年にはシャーキー以外のオリジナル・メンバーを集めて再結成(ヴォーカルはポール・マクルーンという人)し、03年と07年にはアルバムを出しています。
10年3月には驚きの初来日も果たしており(渋谷アンティノックなどで3回公演)、まだまだ元気で活動しているようです。


一方一人仲間外れにされたシャーキーのほうですが、彼はデペッシュ・モードやヤズーで活躍していたヴィンス・クラークと組んで、ジ・アッセンブリーというテクノ・デュオを結成し、一発ヒットを出しています。
そのジ・アッセンブリーがシングル1枚だけで空中分解すると、今度はソロシンガーとしてブルー・アイド・ソウル路線に転向し、全英1位を獲得するなど大活躍しました。
シャーキーとザット・ペトロール・エモーションについては、いずれ取り上げることになると思いますから、その時は読んで頂けると幸いです。