サーフ・バンクス

台風だか熱帯低気圧だかが接近しているせいなのか、なんか朝から頭が痛くて。
こういう時はがっつり真面目な更新をするのもしんどいので、久しぶりに色物系でも取り上げてみましょうか。
というわけで今回はサーフ・バンクスです。70年代後半から80年代にかけて、アメリカ西海岸で活動していたグループですが、知ってる人はどれくらいいるんでしょう。


サーフ・バンクスは76年、デニス・ドラゴン(ドラムス、ヴォーカル)、ドリュー・スティール(ヴォーカル、ギター)を中心として、米国カリフォルニア州で結成されました。
ビルボードでトップ200に入ったこともないマイナーな地方バンドなんですが、現地でのカルト的な人気はそれなりにあったみたいで、5枚のアルバムをリリースしています。
自分は高校生くらいの頃、今は亡きミュージック・ライフ誌でこのバンドの名前だけは知ったのですが、当時はレコードを見かけなかった(国内盤が出ていなかったのかも)うえ、バンド名からしていかにもインチキ臭かったので、特に積極的に聴きたいとも思っていませんでした。
しかし83年か84年頃、『Urgh! A Music War』という、ニューウェーブのバンドのライブを集めたオムニバスビデオを買ったとき、偶然サーフ・バンクスの映像も入ってたので観たんですね。
「おー、これがあのサーフ・バンクスか」
と、テレビの前で一人ウケてましたっけ。


Surf Punks - My Beach


これがその時に観た映像ですね。ロサンゼルスの有名なクラブ、ウイスキー・ア・ゴー・ゴーでのライブです。
ティールの甲高いヴォーカルと脳天気でシンプルな演奏は、どことなくトイ・ドールズを思わせますが、それよりもサーフボード型のギターや、ビキニのおねーちゃんが無意味に出てくるなどのギミックのほうに目を惹かれます。
ビーチ・ボーイズをはじめとして、ロックやポップスとサーフィンの組み合わせというのはよくあるのですが、彼らの場合はそのアプローチの仕方がいかにも安直でお気楽(つーか思いっきり形から入っている)なのが、逆に味になっているのかもしれません。


Surf Punks - My Beach


これは同じ頃のスタジオライブらしいですね。
先の映像と何も変わっているところはないのですが、とりあえずサーフボード型ギターと水着のおねーちゃんは出てきます。
あとはローディーがスティールの頭の上でゴミ袋をひっくり返すというパフォーマンスも、いかにもこの手のバンドらしい意味不明さで、しょうもなさが募ります。


Surf Punks - Big Top


これも同じ頃のスタジオライブ。ドラムスのデニスがメインヴォーカルを取ってますね。
なんということもない平凡な曲ですが、やっぱりビキニのおねーちゃんが出てきて、巨乳をこれ見よがしに揺らすところは、バンドのお客に対する誠意(笑)を感じなくもありません。


この2曲は80年の2ndアルバム『My Beach』に収録されているんですけど、実はこのアルバム、メジャーのエピックからのリリースなんですね。
また何で?と思ったんですが、実はデニス・ドラゴンはアメリカ映画音楽界ではかなり有名なオーケストラ指揮者、カーメン・ドラゴンの息子なんだと知って、なんとなく理由が分かったような気がしました。
カーメンはグレンデール交響楽団*1を率いるなど指揮者として知られる(読売日響を指揮したこともある)ほか、映画音楽の作曲家としてアカデミー作曲賞(44年、ミュージカル映画音楽賞)やエミー賞も受賞しており、またキャピトル・レコードのクラシック部門を育てた立役者でもあったセレブですから、これは親のコネなんじゃないかと(笑)
さすがに穿ち過ぎな推測なのかもしれませんが、お父さんの顔は多少なりとも影響があったんじゃないかな、という気はします。
ちなみにデニスのお兄さんのダリル・ドラゴンは、奥さんのトニ・テニールとともにキャプテン&テニールを結成し、『Love Will Keep Us Together』(邦題は『愛ある限り』)や『Do That To Me One More Time』(邦題は『愛の証し』)でビルボードの1位に輝くなど、大成功を収めたミュージシャンです。もしかしたら彼の援助もあったのかもしれませんね。


一応デニスの名誉のために言っておきますが、彼はレコーディング・エンジニアとしてはそこそこ優秀だったようで、大ヒットしたキャプテン&テニールのデビュー・アルバムは、彼が全編手がけています。他にもキャロル・キングやチーチ・アンド・チョンなんかも手がけているようですね。
あと何気にデニスは、ビーチ・ボーイズの歴史にもちょこっとだけですが関わっています。76年のアルバム『15 Big Ones』(邦題は『偉大なる15年』)の中の1曲、『Susie Cincinnati』で本職のドラマーとして腕を振るっているのですよ。
これはお兄さんのダリルがビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンと仲が良かったため、その引きで実現したものらしいです。この二人の交流はかなり深いもので、70年にはデニス・ウイルソン&ランボーランボーがダリル)としてシングルを出していますし、一時はダリルがデニス・ウィルソンの要請で、ビーチ・ボーイズのスタッフ・キーボーディストとして参加していた時期もありました。
話が飛びましたがデニス・ドラゴンは、70年代前半にマーク・マクルーアらとともにジョイアス・ノイズというバンドも組んでいました。このバンドは未聴なんですが、なんでもクロスビー・スティルズ・ナッシュ&ヤングみたいなカントリー・ロックらしいですね。アルバムがヴィヴィド・サウンドから再発されていて、現在でも国内盤が入手可能なようです。
こうして見てみると、デニスという人は本来アメリカン・ポップ畑の人みたいですね。じゃあ何で突然サーフ・パンクスを組んだのか、という疑問に行き当たるんですが、きっとノリで始めたんじゃないかな(笑)


サーフ・バンクスは88年まで活動しましたが、商業的な成功を得ることなく解散したようです。
デニスが今はどうしているのか、正直よく分からないんですが、とりあえず個人サイトはありましたね。


http://dennisdragon.com/index.html


もしこのエントリを見て、彼に興味を持った方がおられるなら(いないと思うけど)、読んでみてもいいかもしれません。ちなみに僕はまだほとんど読んでません(笑)

*1:ハリウッドの映画スタジオで働く音楽家たちによって作られたオーケストラ。本名で録音したことはなく、CBSで仕事をする時はコロムビア交響楽団RCAで仕事をする時はRCAビクター交響楽団、キャピトルで仕事をする時はキャピトル交響楽団またはハリウッド・ボウル交響楽団と、名前を変えて演奏していた。