メガデス

皆様いかがお過ごしでしょうか。
自分の私生活にはあまり変化がないので、今回はすぐに本題に入ります。


前回ドラゴンズの『Anarchy in the U.K.』のカバーを取り上げたのですが、他にあの曲をカバーしたバンドはなかったっけと考えてみたところ、すぐに思い当たったのがメガデスです。
最近日本で活躍している、ギターを抱いた変な外人マーティ・フリードマンのいたバンドとして、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
メタルはこのブログではあまり受けが良くないようなんですが、自分は割とメタル好き(特にスラッシュメタル)な人なので、今回はかまわず取り上げてみたいと思っています。


メガデスは元メタリカのギタリストだったデイヴ・ムステインによって、83年に結成されたスラッシュメタルバンドです。
ムステインはメタリカでリード・ギタリストとソングライターとして貢献していましたが、それ以上に飲酒、ドラッグとそれに伴う暴力的な素行によってメンバーに嫌われていました。何しろバンドと並行してドラッグの売人もしていたというのですから、まともな人物ではありません。
彼の素行の悪さに耐え切れず、初代ベーシストのロン・マクガヴニーが脱退するなど、メンバーとの確執がどんどん深まっていき、ついに1stアルバムのリリース直前に解雇されてしまいます。
失意のままにロサンゼルスに戻ったムステインは、メタリカを超えるバンドを作るために、メンバーを集めてメガデスを結成するのです。


初期メガデスの特徴は、複雑な曲展開と印象的なギターリフ、そして政治的なテーマを扱うことの多い、皮肉に満ちた冷徹でヘヴィな歌詞でしょうか。
特に構成や展開の複雑さはプログレを思わせるものがあり、他のスラッシュメタルとは一線を画していました。彼らはその音を「インテレクチュアル・スラッシュ(知的なスラッシュ)」と称していましたね。


Megadeth - Anarchy in the U.K.


最初に書いたセックス・ピストルズのカバー。
88年の3rdアルバム『So Far, So Good... So What!』からシングルカットされ、全英45位を記録しています。
またアルバムもビルボードで28位、全英でも18位に入るヒットとなり、メガデスの名を一気に高めることになりました。
原曲のルーズで人を小馬鹿にしているような雰囲気はなくなってしまいましたが、スピードとざくざくしたギターリフのために、その攻撃力はさらに増しています。
また明るい曲調のため、ダークな曲調の多いこのアルバムの中では、すごく浮いている雰囲気になっています。ピストルズって実はポップだったんだなと実感できる一曲ですね。
ちなみにギターはお馴染みのフリードマンではなく、ジェフ・スコット・ヤングが弾いているのですが、曲の一部では元ピストルズのスティーブ・ジョーンズもゲスト参加しています。


Megadeth - Peace Sells


時系列が前後しますが、86年の2ndアルバム『Peace Sells... But Who's Buying?』に収録された、彼らの初期の代表曲です。
このアルバムはキャピトルからのメジャー・デビュー作で、ビルボードで76位に入り、初のチャートインも果たしています。
イントロからエンディングまで徹底的に無駄が削ぎ落とされ、ソリッドに研ぎ澄まされている曲です。全般的に毒気が強いんですが、重たい前半から一転して疾走する後半のカタルシスが、メタルファンには気持ち良いですね。
ちなみにこの曲のギターもフリードマンではなく、クリス・ポーランドが弾いています。


Megadeth - Hangar 18


90年の4thアルバム『Rust In Peace』からのシングル。全英26位を記録しています。
またアルバムはビルボードでこそ23位でしたが、全英では8位という大ヒットとなりました。
前半は当時の彼らにしては珍しくキャッチーな展開を見せるのですが、後半は強引にスピードアップし、目の覚めるようなギターバトルを見せてくれます。
フリードマンはこのアルバムからメガデスに参加し、ここでも摩訶不思議かつ流麗なフレーズを弾きまくっています。
ジェイソン・ベッカーとのツインリードが売りだったカコフォニーでの活躍で、当時知る人ぞ知る存在だったフリードマンでしたが、この時は今までの不遇な活動の鬱憤を晴らすような弾きっぷりで、「すごいギタリストが出てきたもんだ」と感心したのを覚えてますね。
ロズウェル事件を題材にしたPVも、個人的には結構面白いと思っています。
ちなみにこの曲で、92年のグラミー賞ベスト・メタル・パフォーマンス部門にノミネートされましたが、惜しくも受賞は逸しています。


Megadeth - Symphony of Destruction


92年の5thアルバム『Countdown to Extinction』(邦題は『破滅へのカウントダウン』)からの先行シングル。邦題は『狂乱のシンフォニー』。
全英で15位のヒットとなる他、ビルボードでも71位に入り、唯一のトップ100に入ったシングルとなっています。
またアルバムもビルボードで2位、全英でも5位という大ヒットを記録し、彼ら最大の成功作となりました。
曲のスピードはダウンし、また複雑な曲展開もなくなってしまいましたが、冷徹で機械的なリフと溢れ出る緊張感、そして冷笑的な響きを持つムステインのヴォーカルが光っています。
メロディーも行き過ぎないくらいにキャッチーで、中期の曲の中では群を抜く完成度なのではないでしょうか。


93年には日本武道館での公演が予定され、自分もチケットを入手していたのですが、ムステインが麻薬中毒を再発させたためキャンセルになってしまいました。それ以降メガデスの武道館公演は実現していません。
この年にはエアロスミスのツアーの前座を務めますが、やはりムステインのステージ外での問題行動により、わずか7公演でツアーから追い出されるという事件も起こしています。
どうやら当時のムステインの状況はかなり悪かったようですね。このへんからメガデスの音楽性にもぶれが目立つようになっていきました。


その後メガデスは更なる商業的成功を求めて、プロデューサーにマイケル・ジャクソンのギタリストだったダン・ハフを迎えるなどさまざまな試みをしますが、かえって独特のシニカルな視点や攻撃性が消え、バンドの魅力は失われてしまいます。
迷走する彼らはインダストリアルに接近するのですが、これが受け入れられずセールスも惨敗し、この路線に反対していたフリードマンもバンドを去りました。
慌てて次のアルバムでは往年の音楽性に回帰したものの、離れたファンはなかなか戻らず、結局02年にムステインの腕の故障(橈骨神経麻痺)の治療のため、と称してバンドは解散してしまいます。


しかし大方の予想通り、バンドは04年に再結成されました。なんでもムステインがソロアルバムを制作したところ、レコード会社の要望でメガデス名義を名乗ることになったとか。
再結成後の音は聴いてないんですが、09年のBURRN!誌における読者人気投票で五冠を獲得するなど、日本ではまだまだ人気は衰えていないようです。
またアルバムも毎回ビルボードのチャートで10位前後には入っていますので、アメリカでも一定の支持はされているようで何よりです。
なお途中で脱退したフリードマンは、もともと漢字交じりで文章を書けるくらいの親日家として有名でしたが、03年に来日して新宿区に住まいを構え、テレビやライブなど幅広い分野で活躍中です。