アソシエイツ

80年代のニューウェーブは玉石混淆状態でした。
テクノロジーの発達によりアイディア一発勝負で音楽を作れる状況になったのと、MTVなどの発達によってヴィジュアルでハッタリを効かせる手法が有効になったことが相まって、単なるキワモノみたいなバンドも本当に多かったですね。自分がこのブログで紹介した中にも、その手の泡沫バンドはたくさんありますし。
でも中には今でこそ忘れられてしまいましたが、本当に高い音楽性を持っていたバンドもありました。その一つが今回ネタにするアソシエイツです。


アソシエイツは1976年、英国スコットランドダンディーで結成されました。ヴォーカリストのビリー・マッケンジーとマルチインストルメンタリストのアラン・ランキンの二人組(ザ・キュアーの初期メンバーだったベーシストのマイケル・デンプシーが加わっていた時期もありますが)のエレクトリック・デュオです。
その特徴はランキンが紡ぎ出す、印象的なフレーズを持つきらびやかなシンセと、マッケンジーデヴィッド・ボウイスコット・ウォーカー(古い)を合わせたような、表情豊かなハイトーンのヴォーカルが織りなす独特の世界でしょうか。
特にマッケンジーのヴォーカルは、オペラのような癖のある声なので好き嫌いは分かれるでしょうけど、その歌唱力には凄まじいものがあり、知名度はとにかくとして実力的には80年代随一と言っていいかもしれません。


彼らは80年、ザ・キュアーで知られるフィクション・レコードと契約し、何枚かのシングルとアルバム『The Affectionate Punch』をリリースします。


Associates - Boys Keep Swinging


これが彼らのデビュー曲。デヴィッド・ボウイのカバーですね。
バックトラックはスカスカで、どちらかと言うとザ・キュアーの直接的な影響下にある陰鬱なネオ・サイケ、といった趣なんですが、マッケンジーのヴォーカルの魅力はこの時点で完成されています。


しかしすぐに彼らはフィクション・レコードともめ(具体的な内容は知りませんけど)、一時活動停止状態になります。
そのごたごたの後、今度はバウハウスなどで有名なベガーズ・バンケットのサブレーベルであるシチュエーション2と契約し、鬱憤を晴らすかのように精力的な活動を開始しました。
そして81年4月から10月の7ヶ月間で、なんと5枚のシングルを発表し、その全てをインディー・チャートの上位に叩き込んだのです。これらのシングルは、後に2ndアルバム『Fourth Drawer Down』(邦題は『碧き幻』)としてまとめられます。


Associates - Kitchen Person


怒涛のシングル攻勢に出たこの年の彼らの作品群の中でも、特にメタリックなサイケデリック感に溢れたハイテンションのダンス・チューン。
陰鬱でダークだけど万華鏡のようにカラフルで美しいエレクトリック・サウンドが、マッケンジーのドラマチックな歌声を包むように展開する彼らの個性は、この頃に確立されました。


そして82年、彼らはメジャーのWEAに移籍し、満を持してシングル『Party Fears Two』をリリースします。
この曲は好意的に迎えられ、英国チャートで9位にまで上昇し、アソシエイツはブレイクを果たすこととなりました。


Associates - Party Fears Two


極彩色の水槽のようにカラフルでムード溢れる耽美系エレクトロニックサウンドに、切なげなマッケンジーの美声が絡む名曲です。
特にクライマックスで声がファルセットに裏返るところは、思わず鳥肌が立つくらいですね。


Associates - Club Country


82年5月リリースのシングル。全英では13位まで上昇しています。
躍動感みなぎるシンセ・ストリングスと弾き倒すベース連打を中心に構成された、クラブでかかるとご機嫌になりそうなダンスチューンです。
この曲もサビを歌い上げるマッケンジーのハイトーンボイスが、感動すら覚えるくらいの高揚感を与えてくれます。


この年には傑作として知られる3rdアルバム『Sulk』もリリースされ、全英10位まで上がるヒットを記録しています。
このアルバムはランキンの紡ぎ出すきらびやかな音(バックのジョン・マーフィーのドラムも素晴らしい)と、それに負けないくらい華やかなマッケンジーの官能的なヴォーカルが、凄絶なまでの美しさを見せていて、初めて聴いた時は震えが来るくらいでした。
楽曲の完成度も圧倒的で、心の深奥を抉り出すように研ぎ澄まされています。インストの1曲目から、最後に再びインストの曲に戻るまでハズレの曲がない、見事に構成されたアルバムでしたね。
かつてロッキン・オン誌にて行われた「ミュージシャンが選ぶこの1枚」という企画で、ビョークがこの作品を挙げていたという事実もあるくらいで、個人的にもこの時期の英国ニューウェーブが到達した、ひとつの頂点だと思っています。


Associates - 18 Carat Love Affair


『Sulk』からのシングルカット。全英21位を記録しています。
この時は確かダイアナ・ロスのカバー『Love Hangover』と両A面扱いでしたっけ。
グルーミーな感じのサウンドと、程よく刹那的かつグラマラスな雰囲気がよくマッチした曲だと思います。


しかしアソシエイツの全盛期はここまででした。ワールドツアーをめぐる意見の違いから、マッケンジーとランキンは仲違いし、結局ランキンが脱退してしまうのです。
以降アソシエイツはマッケンジーソロ・プロジェクトとなるのですが、活動は徐々に停滞していきます。何枚かアルバムもリリースしましたが、もはやあのほとばしるような輝きは感じられませんでした。
全盛時はマッケンジーの存在だけがクローズアップされがちでしたが、結局アソシエイツの魅力の正体は、彼とランキンの共同作業から生じるケミストリーだっんでしょうね。


Associates - Waiting For The Loveboat


84年リリースのシングル。全英53位。翌年リリースの4thアルバム『Perhaps』にも収録されています。
チャートアクションはふるいませんでしたが、マッケンジーのヴォーカルは相変らず圧巻ですし、曲自体もノスタルジックなスタンダードポップがエレクトロニクスの中に息づいている感じで好きですね。
またPVは映画仕立てになっていて、『未来世紀ブラジル』を連想させて映画ファンをにやりとさせるようなシーンもあり、なかなか見ごたえがあります。


Associates - Heart Of Glass


88年リリースのシングル。全英56位。
ブロンディの名曲のカバーです。サウンドワークは今ひとつな感じですが、マッケンジーのヴォーカルはちょっと抑制を効かせていて、エロティシズムすら感じる出来になっています。


この後アソシエイツは5thアルバム『The Glamour Chase』の制作に取りかかりますが、これが遅れに遅れたことからWEAとの折り合いが悪くなり、セールスも今ひとつだったことも影響したのか、89年にはあっさり解雇されてしまいます(『The Glamour Chase』は02年にようやく陽の目を見る)。
マッケンジーはヴァージン・レコード傘下のレーベルに移籍し、90年にはアソシエイツ名義でアルバム『Wild And Lonely』をリリースしますが、チャートアクションは71位と芳しくなく、これを最後にマッケンジーはアソシエイツの名義を使うことを止めてしまいます。
彼は92年にソロとして、さらにダンスミュージックに接近したアルバムも出しましたが、これもあまり当たりませんでした。
翌年にはかつての盟友ランキンと再会し、アソシエイツ再結成に向けてデモテープも作成しましたが、マッケンジーは再結成に伴うさまざまな制約を厭い、結局はこれをご破算にしてしまいます。


その後マッケンジーは、旧友のマイケル・デンプシーやアポロ440らとの仕事をしつつ再起を図りますが、96年に母親の死に目に会えなかったことによって鬱病が悪化し、翌97年1月に実家の納屋の中で薬物自殺してしまいました。享年39。
有り余るほどの才能を持ちながら、結局最後まで往時の輝きを取り戻すことなく亡くなってしまったのは、本当に残念でしたね。しかも日本ではほとんど報道もされませんでしたし。
ザ・キュアーロバート・スミスはマッケンジーの死を悲しみ、彼のことをモデルにした『Cut Here』という曲を書き、彼に捧げています。
また余談ですが、ザ・スミスの『William, It Was Really Nothing』も、マッケンジーのことをモデルにしているそうですね。
かつてマッケンジーモリッシーは交友があったのですが、マッケンジーモリッシーの家から、本とお気に入りのシャツを黙って持ち帰ったために交遊が途絶えたんだとか。


アソシエイツのアルバムは当時ほとんどが廃盤でしたが、旧友のデンプシーと遺族の尽力により、現在は旧作のほかに、未発表音源も続々と発売され、再評価も進んでいるようです。
またマッケンジーの相方だったランキンは3枚のソロアルバムを発売するほか、ベル・アンド・セバスチャンの『Tigermilk』やコクトー・ツインズ、ポール・ヘイグらのアルバムのプロデュースも行っています。