ア・フロック・オブ・シーガルズ

前回がポジパンで重たかったので、今回は軽くいきましょう。
というわけで、一発屋っぽい印象を今も残すア・フロック・オブ・シーガルズでいってみます。このバンドはよく洋楽番組でもPVが流れていたので、覚えている方も多いかもしれません。
個人的にはこのバンド自体にはさほど興味はなかったんですけど、1曲だけ好きな曲があるんで、未だに忘れられないバンドではあるんですよね。


ア・フロック・オブ・シーガルズは英国リバプールで、マイク(ヴォーカル、キーボード)とアリ(ドラムス)のスコア兄弟に、ポール・レイモンド(ギター)とフランク・モズリー(ベース)が加わって結成されました。
当時の雑誌では彼らは美容師仲間だったみたいな記述もあったような記憶もあるんですが、本当かどうかは知りません。ヘアスタイルに特徴のあるバンドでしたので、そこから発生したネタなのかもしれませんね。
彼らは81年にあのビル・ネルソンに見出され、彼が主宰するコクトー・レーベルから2枚のシングルを出して注目されました。
そしてすぐにCBS傘下のジャイブ・レーベルと契約し、翌82年にメジャーデビューを果たします。この点から考えて、もともとは実力のあるバンドだったんでしょう。
その後の彼らは順風満帆でした。デビューシングルの『I Ran(So Far Away)』が第二次ブリティッシュ・インヴェンジョンの波に乗り、アメリカで大ヒット、一躍人気バンドの仲間入りを果たすのです。


A Flock Of Seagulls - I Ran(So Far Away)


彼らのデビューヒット。82年にビルボードで9位、オリコンでも19位を記録するヒットとなりました。英国では43位といまいちだったんですが。
エコーを効かせたユニークなギターと、ちょっとSFっぽい香りのするスペイシーなサウンドワークが印象的な曲です。
ちなみに当時の日本盤の叩き文句は、「マイコン・エイジのテーマ曲 でてくるでてくる4羽のロック・バード 100%総カモメ!!」でした。
マイコン」という言葉にも時代を感じますが、「100%総カモメ!!」はさすがにひどいですね。シブがき隊の「100%…SOかもね!」に引っ掛けてるんでしょうけど、それにしてもね。
まあそれはそれとして、この曲の収録されたアルバム『A Flock Of Seagulls』(邦題は『テレコミュニケーション』)は、オーケストラル・マヌーヴァース・イン・ザ・ダークなどで有名なビル・ホウレットがプロデュースを担当し(1曲だけビル・ネルソンが担当)、全英では32位を記録しましたが、アメリカでは売れませんでした。
この曲のヒット後、彼らはアメリカにもツアーに行ったのですが、そこでも前座のフィクス(これも懐かしい)に完全に食われたりして、結構な辛酸を舐めたようです。


余談ですが、このバンドは女子供の聴くポップ・バンドと本国では看做されていたようで、正当には評価されていませんでした。
自分も当時デヴィッド・ボウイのインタビューを読んだ時、息子のゾウイーくん(映画監督のダンカン・ジョーンズ)について聞かれた際に
「とりあえずア・フロック・オブ・シーガルズを聞いて喜んでいるような子供に育たなくてよかったよ」
と答えているのを見て、やっぱり玄人筋からはウケが悪いんだなあと実感したこともありますし。
でも個人的には『I Ran(So Far Away)』の醸し出す焦燥感って好きなんですよねえ。例え音楽として凡庸であったとしても、そもそも別に優れているという理由だけで好きになるわけじゃないですから。


話が飛んでしまいましたが、彼らはより以上の成功を目指していろいろな面での強化を図ります。
それはまあ当然のことなんですが、彼らの場合ルックス面でのテコ入れがすご過ぎました。マイクの頭髪の両端を立て、前髪をびろーんと伸ばした「シーガル・ヘア」にしたのです。
これは本当に強烈でしたね。確かに一目見たら忘れられないようなルックスにはなったんですが、その分イロモノ度も無限大にアップして、単なるコミックバンドのように見えてしまいましたから。少なくともシリアスに受け取るのは無理なレベルでした。
この変化は当時、江口寿史にマンガのネタにされてしまったくらい痛い出来事でした。おまけに後年になっても映画『ウェディング・シンガー』や『オースティン・パワーズ・ゴールドメンバーズ』でこのネタが使われたくらいですから、悪い意味でインパクトがあり過ぎたんでしょう。
とにかく彼らはいろいろ試行錯誤しつつ(無理させられたとも言う)、ワールドワイドでのブレイクを目指していくことになります。


A Flock Of Seagulls - Wishing (If I Had A Photograph Of You)


82年に全英10位、ビルボードで26位のヒットを果たしたシングル。
83年リリースの2ndアルバム『Listen』にも収録されていて、彼らの代表曲の一つにも数えられています。
これも前作同様ホウレットのプロデュースなんですが、確かに分かりやすくポップにはなっていますが、全般的にロックっぽさが陰を潜め、典型的なエレポップになっているきらいはありますね。


この後1年くらいは英米でヒットを飛ばしていた彼らですが、次第に飽きられたのか低迷していくようになります。
だんだんシングルもアルバムもチャートインしなくなり、結局86年にはメジャー契約も失うこととなり、ついには解散状態に陥ってしまうのです。
それでも89年にはスコア兄弟以外のメンバーを一新し、インディーからシングル『Magic』をリリースし、アメリカツアーにも出たんですが、これもあまり成功したとは言えず、結局ツアー終了後には完全に解散してしまいました。
しかし彼らはへこたれませんでした。95年にかつてのシーガル・ヘアが嘘のように禿げ上がったマイク・スコアは、まったく新しいメンバーでバンドを再結成させ、アルバム『The Light At The End Of The World』を引っ提げてカムバックを果たすのです。
ただこれも残念ながら話題になるには至らず、現在彼らはアメリカやヨーロッパをドサ回りしつつ、細々と命脈を保っているらしいですね。


【追記】

13年2月にはマイク・スコアが、ソロとしてシングル『All I Wanna Do』をリリースし、DL販売しています。


Mike Score - All I Wanna Do