ダンス・ソサエティ

今日は前回ちょこっと名前を出した、ダンス・ソサエティを取り上げてみたいと思います。
当時セックス・ギャング・チルドレンやサザン・デス・カルトとともに「ポジティブ・バンク御三家」とされ、日本でもフールズ・メイト誌を読んでいる人あたりの間では注目されていました。
まあ今となってはポジティブ・パンクなんて言葉自体が死語ですので簡単に説明しますと、80年代前半の英国でポスト・パンクの文脈の中から登場してきたムーブメントです。
音楽性は千差万別でしたが、どぎついメイク、時代がかった歌詞、ゴシック建築を連想させるような重厚なサウンド、シアトリカルなステージといった要素のどれかを持っていれば、ポジティブ・パンクと呼ばれていたような気がします。
とはいえスタイル先行な面は否めず、しっかりとした実力を持ったバンドは少なかったのですが、もともと音楽ジャーナリズムを中心とした仕掛けから生まれたムーブメントだったせいもあるのか、実力不足のバンドへの過大評価、大手レコード会社による引き抜き、強引なデビューとハイプ的な売り出しと混乱を極めた末、一瞬にして潮が引くようにブームは去ってしまいました。
要するに時代の仇花的なムーブメントだったんですが、しかしその影響力は無視できないものがあり、現在もゴスにその要素は引き継がれている(ゴスのほうが先に起こったムーブメントだが)ほか、初期の日本のヴィジュアル系にもその根っこが窺えることは多いです。


そんなポジティブ・パンクの雄であったダンス・ソサエティは、79年に英国のヨークシャー州バーンズレイにて、Y?とLips-Xという2つのバンドが合併する形で結成されたダンス・クレイジーなるバンドが母体となっています。
ダンス・クレイジーは何度もメンバーチェンジを繰り返しつつ(その中には前回取り上げたパナッシュのポール・ハンプシャーもいた)活動していたのですが、81年にスティーブ・ロウリング(ヴォーカル)、ポール・ナッシュ(ギター)、ティム・ライト(ベース)、ポール・ギルマーティン(ドラムス)、リンドン・スカーフ(キーボード)の5人になったところで、名前をダンス・ソサエティに改名し、活発に活動を開始します。
そして折からメディアが煽動したポジティブ・パンク・ムーブメントに乗り、その中心的存在として祭り上げられ、アンダーグラウンドではありながら人気を博すようになっていきました。
彼らの特徴は、シンセを主体にした叙情的でどこか冷たい感じを与えるサウンドと、それでいてダンサブルでクラブ向きのビート、そしてデヴィッド・シルヴィアンを思わせるロウリングの気だるげなヴォーカルでした。これらが絡み合って作り出す退廃的な空間は、他のポジティブ・パンク勢にはない彼ら独特の武器になっていましたね。
特にロウリングはルックスも美しかったため、ポジティブ・パンク界のアイドル的存在でもありましたっけ。当時の日本では、彼の美貌ばかりが話題として取り上げられてましたから。
というわけで彼らは音も見た目もポピュラリティがあったため、メジャーが契約したのも当然だったんですが、反面マニアックな匂いは薄かった印象もありましたね。


彼らは81年にインディーズでシングルをリリースしてデビューすると、翌年には自らのレーベル、ソサエティを設立し、何枚かのシングルと1stアルバム『Seduction』をリリースします。
この『Seduction』収録曲が、デヴィッド・リンチ監督の映画『イレーザーヘッド』で使用されたことも、彼らの知名度を大きく上げることになりました。


Danse Society - Somewhere


これは82年にリリースしたシングル。
ギターとシンセが醸し出す沈降していくような感覚と、悲哀の籠ったロウリングのヴォーカルが印象的な曲です。


Dance Society - Hide


『Somewhere』のカップリング。
彼らにしては珍しくアップテンポの曲なんですが、どことなく重くはじけていないところが彼ららしいのかもしれません。


NME誌のキャンペーンでブームになった翌83年に、彼らはメジャーのアリスタ・レコードにソサエティ・レーベルを丸抱えしてもらう形で契約します。
そして84年には2ndアルバム『Heaven Is Waiting』をリリース、これを英国チャート39位に送り込みました。このアルバムは前作にはなかった攻撃性やダイナミズムを獲得していて、彼らの最高傑作となっています。


Dance Society - Heaven Is Waiting


『Heaven Is Waiting』からの先行シングル。83年に全英60位を記録しています。
バンドアンサンブルとエレクトロが融合したサウンドには気品と退廃が同居しており、ジョイ・ディヴィジョンにも通ずる孤独な空気に包まれている感じがいいですね。
映像はヴォーカル処理とミキシングが上手くいっていない感じで、やたら下手くそに聞こえるのですが、当時の雰囲気はよく出ているのではないでしょうか。


Danse Society - 2000 Light Years From Home


84年のシングル。ローリング・ストーンズの『2000光年の彼方』のカバーです。
原曲はストーンズのメンバーがドラッグまみれだった頃に作られたせいもあって、なんともどよーんとした感じの気だるい曲なんですが、このカバーはそのへんを残しつつ、彼ら特有の幻想的な持ち味を出していると思います。


しかしここで彼らは予想外の行動に出ます。あのユーロビート集団であるストック・エイトキン・ウォーターマンをプロデュースに迎えるのです。
もともと一般にも通じるような音楽性も持っていた彼らのことですから、ダンサブルなアプローチを試みること自体はアリだと思うのですが、さすがにこれはやり過ぎでしたね。
結果彼らは今までのファンを失い、しかも新しいファンも獲得できないという最悪の状態に陥ってしまいました。


Danse Society - Say It Again


85年のシングル。
アルペジオ・シーケンスのシンセやスネアが目立ってる辺りが、ストック・エイトキン・ウォーターマンのプロデュースらしいですけど、それ以外はニューウェーブの名残を残している感じです。


Danse Society - Hold On (To What You've Got)


86年のシングル。
ポスト・パンクっぽいギター・カッティングとディスコ・ビートがカッコいいゴシック・ロック・ナンバー。
一時期のBUCK-TICKに近い音のような気もします。


実は個人的にはこの路線って、そんなに嫌いではなかったりします。
正直な話、ポジティブ・パンクという足枷さえなければ、ウルトラヴォックスやニュー・オーダーみたいな路線で成功する可能性もあったのではないでしょうか。
大衆性を中途半端に取り入れるのではなく、最初はゴス界隈で活動していたデッド・オア・アライブのように、思い切ってユーロビートの波に乗っちゃうとかすれば、また未来は違ったのかもしれないな、という気がします。
ロウリングのルックスは一般人気を呼ぶにも十分だったはずなので、うまくいけば大人気バンドになっていたかもしれないと思うんですけどね。まあ今さら言ってもせん無いことですが。


とにかく方向性を見失って迷走し始めたダンス・ソサエティは、急激に失速し人気は下がり活動も停滞していきます。
そして86年にはロウリング以外の全員が脱退してジョニー・イン・ザ・クラウドというバンドを結成したため、ダンス・ソサエティはあえなく空中分解してしまいました。
残されたロウリングは、しばらくは一人でソサエティを名乗って孤塁を守っていましたが、その後アンビエント・デュオのメリディアン・ドリームを結成し、活動を続けています。
他のメンバーはジョニー・イン・ザ・クラウドが成功せずに解散した後、それぞれの活動へと散っていきましたが、11年には突然ダンス・ソサエティを再結成させ、ロウリングではなく新しいヴォーカルを迎え、アルバムもリリースしています。