ニューヨーク・ドールズ

プログレばっかりだとその趣味のない人はとっつき辛いでしょうから、今日はロックンロールで行きます。
というわけで、今回はグラム・ロッカーの生き残りのような、パンクの先駆者でもあるような不思議な存在であるニューヨーク・ドールズを取り上げてみましょう。


ニューヨーク・ドールズは71年アメリカのニューヨークで、デヴィッド・ヨハンセン(ヴォーカル)、ジョニー・サンダース(ギター)を中心に結成されました。
特徴はとにかくロックンロールであること。上手いか下手かを訊かれたら下手と答えざるを得ないんですが、そのストレートでシンプルながら妖しく毒のある音は、これぞロックンロールと言いたくなるほどの魅力があります。
またヨハンセンのスピリットを感じさせる歌声と、サンダースのエッジの立ったギターは、早過ぎたパンクと言えるかもしれませんね。


ニューヨーク・ドールズはその激しく迫力のあるライブと、グラムロック直系のけばけばしいファッションが注目され、あのフェイセズのツアーのオープニング・アクトに抜擢されました。そしてデヴィッド・ボウイルー・リードなどの一癖ありそうな連中に激賞され、浮上のきっかけを掴みました。
そこで彼らはその年の10月に、レコード会社への売り込みのために渡英しましたが、ドラムスのビリー・マーシアが、ホテルのバスルームでコーヒーを喉に詰まらせて窒息死(多分ドラッグも関連してるんだろうけど)してしまいます。
バンドは後任に、後にパンク人脈にも多く関わってくるジェリー・ノーランを加入させ、73年にトッド・ラングレンのプロデュースによるデビュー・アルバム『New York Dolls』でデビューを果たしました。


New York Dolls - Personality Crisis


『New York Dolls』に収録された、彼らの代表曲。邦題は『人格の危機』。
パンクやグラムの要素も確かに持っていますが、それ以前にだらしなくてワイルドなロックンロールですね。でもそこがいい。
ヨハンセンのヒステリックでしゃがれたシャウトがカッコいい曲です。


New York Dolls - Jet Boy


これも『New York Dolls』に収録された曲。
何と言ってもギターリフがカッコいいですね。雰囲気もいいですし。
ちょっと説明しづらいんですけど、B級と言うか二流の匂いがするところが好きです。


『New York Dolls』は今でこそ歴史的な評価を得ていますが、当時は賞賛と酷評の両極端な批評が飛び交い、そのせいかセールスも思わしくありませんでした。
またサンダースとノーランは、ラングレンのプロデュースに不満を持っていたため、今度はシャングリラスなどとの仕事で有名なジョージ・シャドウ・モートンをプロデューサーに起用し、74年に2ndアルバム『Too Much Too Soon』(邦題は『悪徳のジャングル』)をリリースします。


New York Dolls - Stranded In The Jungle


『Too Much Too Soon』収録曲。邦題は『悪徳のジャングル』。
56年にジェイホークスがリリースした曲のカバー。このへんの選曲はプロデューサーのモートンの意見が大きかったんでしょうか。
原曲はドゥーワップなんですが、ニューヨーク・ドールズが演奏すると途端に胡散臭い匂いがしてきて、グラマラスなロックンロールになってしまうところはさすがです。


しかしバンドはステージでの暴力沙汰や、センセーショナルな放言ばかりがクローズアップされてキワモノ視されるばかりで、セールスはほとんど上がりませんでした。
そしてバンド内でもプロデュースに不満なサンダースやノーランと、ヨハンセンの対立が激しくなっていて、バンドは空中分解寸前でした。それだけならいいのですが(よくないけど)、当時のロックバンドの例に漏れず、メンバーにはドラッグが蔓延していました。特にベースのアーサー・キラー・ケインは中毒症状がひどく、ステージではただ単に立っているだけで、後ろでローディーが演奏しているというものすごい状態だったそうです。
おまけに当時彼らのマネージャーを務めていたマルコム・マクラーレンセックス・ピストルズで悪名高いあのマルコムです)が、新曲『Red Pattent Leather』に合わせて、真っ赤なレザーに身を包むことを強要するという暴挙に出ました。
正直当時の映像を見る限り、その頃の衣装もかなり悪趣味かつド派手なので、赤いレザーでもたいして変わらない気もするのですが、結局サンダースとノーランはこれにキレて脱退してしまいます。
バンドはドラッグ中毒のケインも解雇し、新メンバーを加えて(その中に後にW.A.S.P.を結成するブラッキー・ローレスもいたという噂がある)存続を図りますが、うまくいかずバンドは崩壊し、結局は77年に解散しました。
サンダースとノーランは後にジョニー・サンダース&ハートブレイカーズを結成し、パンク史に残るアルバム『L.A.M.F』をリリースします。ノーランはシド・ヴィシャスとも関わりを持ったりもしていました。
またヨハンセンはソロシンガーとして再出発します。TVドラマ『マイアミ・バイス』にゲスト出演し、歌っているのも見たことありますけど、いい声してましたっけ。


そんなニューヨーク・ドールズですが、解散後はパンクのオリジネーターのひとつとして高く評価されるようになり、04年には再結成しています。
これは元ザ・スミスモリッシーが尽力したことによって実現したものです。なんでもモリッシーは、かつてニューヨーク・ドールズのファンクラブを主宰していたこともあったとか。これはすごく意外な事実ですね。
メンバーは91年にサンダースがオーバードーズ、ノーランが脳卒中で相次いで死去していたこともあり、ヨハンセン、シルヴェイン・シルヴェイン(ギター)、ケインの元メンバー3人に、菅野よう子との仕事でアニメファンには有名なスティーブ・コンテ(ギター)、リバティーンズのメンバーでもあるゲイリー・パウエル(ドラムス)、そしてブライアン・クーニン(キーボード)を加えた6人でした。
しかし再結成から1ヶ月も経たないうちに、ケインが白血病の合併症のためにあっさり死んでしまい、その後は元ハノイ・ロックスのサミ・ヤッファらをゲストに迎え、アルバムを2枚リリースするほかにライブ活動も行っており、日本にも04年と11年に来日しています。
若い頃むちゃくちゃしまくったせいで、当時のメンバーで生き残っているのは2人だけというすごいことになっていますが、まだ存命のヨハンセンとシルヴェインは、元気で長生きしてほしいものです。