コミュナーズ

前回の続きです。
ブロンスキ・ビートを脱退したジミー・ソマーヴィルは、シングル『It Ain't Necessarily So』にゲスト参加していたピアニストのリチャード・コールとともに、コミュナーズというポップ・デュオを結成しています。
ジミーのハイトーン・ヴォーカルと、ダンサブルなシンセ・ビートが織り成すサウンド、というところはブロンスキ・ビートと同じですが、思いっきりハイ・エナジーしているところが特色でしょうか。
サウンドそのものはその後市場に溢れかえったユーロビート系です。ただ彼らのカバー曲なんかを聴くと感じるんですが、センスと音楽への愛情が、同ジャンルの凡百の曲とははっきり違うように思われます。


The Communards - Don't Leave Me This Way


86年の1stアルバム『Communards』に収録された曲。邦題は『ディス・ウェイ』。
もともとはハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツのソウル・クラシックで、のちにテルマ・ヒューストンがカバーして大ヒットさせていますが、コミュナーズのはテルマのバージョンのカバーです。
この曲は後にシングルカットされ、全英ヒットチャートの首位を4週独走し、86年の英国で最も売れたシングルにもなりました。アメリカでも40位に入り、彼らの唯一のアメリカでのヒット曲になっています。
ユーロビートでありつつも、哀感があるのが良いです。ピアノの使い方なんかは好きですねえ。ちなみに隣で歌っているのはサラ・ジェーン・モリスです。


The Communards - Never Can Say Goodbye


87年の2ndアルバム『Red』からのシングル。邦題は『さよならは言わないで』。
もともとジャクソン5が71年にヒットさせ、74年にはグロリア・ゲイナーがカバーしてまたもやヒットさせた名曲です。コミュナーズはグロリアのバージョンをカバーしていますね。
この曲も全英4位のヒットとなっています。スピード感に満ちたアレンジは、今聴いてもなかなか新鮮ではあります。
日本では携帯電話のCMに使われていた記憶がありますが、どこの会社だったか思い出せないです。


こうして順調に活動しているように見えたコミュナーズですが、思わぬところから暗雲が漂ってきます。それはレコード会社上層部です。
彼らのヒットをビジネスライクに捉えた人々は、過去の名曲やヒット曲をユーロビート・アレンジにして出せば売れる、という当たってなくはないけどそれだからこそ恐ろしい判断のもと、次々と似たような音楽をリリースしていきました。
そのため市場には質の悪いユーロビートが溢れかえるようになり、結果的に石ころも玉もない交ぜになってそのまま消費されてしまい、一気に飽きられてしまったのです。
ダンス・ミュージックなんてそんなもの、というのも正しい見方だとは思いますが、それにしても寂しく物悲しいブームの終焉でした。
そんな中コミュナーズも、89年頃には2人の間で対立が激しくなり、空中分解しています。


解散後ジミーは、ソロとして活動しているそうですが、残念ながら音は聴いたことがありません。
しかしシルヴェスターやマーヴィン・ゲイなどのソウル・クラシックのカバーをリリースしているそうですから、基本路線には変化はないのではないでしょうか。
あとどこかで「ゲイ・ソサエティーの帝王」という異名がつけられていたのも見たことがありますから、そちら方面への影響力は相変らず強いのかもしれません。
ちなみにもう片方のリチャードは、引退して現在は牧師さんになっているそうです。