ディープ・パープル

休みの日は、1日に7、8時間はつべでいろんな曲をあさっています。
僕は一応アイドルファンもやっているんですが、最近はそっち方面の曲は全然聴かないで、もっぱら自分のルーツ探しとして昔の洋楽・邦楽を探しているのですが。
その中でも自分の原点といえるのは、やっぱりディープ・パープルとレッド・ツェッペリンでしょうか。
僕は普段聴いている音楽からして、バンクス出身と思われがちなのですが、実際洋楽を聴き始めた時期にはまだパンクは存在していませんでしたし、正確には元ハードロック少年だったと言えるでしょう。
その中でもより影響が強かったのは、やっぱりディープ・パープルですかね。
オルガンを習っていたせいもあってか、オルガンソロのあるパープルは取っつきやすかったですし、当時ツェッペリンは中近東音楽にまで手を広げていて、子供には難し過ぎたんでww
僕が高校生くらいの頃には、ディープ・パープルのギタリストだったリッチー・ブラックモア(当時はレインボーに在籍)が神と崇め奉られていた時期だったんで、当時学園祭でコピーバンドが出てくると8割がたディープ・パープルかレインボーをやってましたっけ。僕も当時はもうバンクスだったのに助っ人として借り出されて、ジョン・ロードのオルガンソロをフェイクを交えまくり失敗しながら何とか弾いてました。
そういう意味でもとっても思い出深くて、懐かしいバンドです。


ディープ・パープルは68年に結成されています。当時のメンバーはロッド・エヴァンス(ヴォーカル)、リッチー・ブラックモア(ギター)、ニック・シンパー(ベース)、イアン・ペイス(ドラムス)、ジョン・ロード(キーボード)の5人です。
この当時のディープ・パープルは、ハード・ロックとは言ってもアート・ロックやプログレッシブ・ロックに寄った面があり、即興演奏を多用して幻想的な世界を作り出していましたが、その分大衆性は低いバンドでした。


Deep Purple - Hush


68年の1stアルバム『Shades of Deep Purple』(邦題は『紫の世界』。のちに『ハッシュ』に改題)に収録されている曲。
ロッド・エヴァンス在籍時の唯一のシングル・ヒットです。カントリー歌手ジョー・サウスのカバーで、全米4位にまで上昇しています。
まだハード・ロックというよりサイケデリック・ロックみたいな感じですが、こもった音質とか、古臭さも含めて魅力的な曲です。
リッチーのギターはジミ・ヘンドリックスの影響がありありと窺えると思います。このへんを追求することによって彼らのルーツを紐解くことができるんじゃないでしょうか。


このメンバーで3枚のアルバムをリリースしましたが、バンド内で意見の対立が大きくなり、結局69年にエヴァンスとシンパーが解雇されます。そして代わりにイアン・ギラン(ヴォーカル)、ロジャー・グローヴァー(ベース)が加入、世界中でよく知られているラインアップが完成します。
ちなみにエヴァンスはディープ・パープルを辞めたあと、キャプテン・ビヨンドというマニア向けのハード・ロックバンドを結成して活躍しますが、そこも脱退したあと当時ディープ・パープルが解散していたことに目をつけ、他のメンバーの許可を一切取らずに、見た目のよく似た二流三流のミュージシャンを集めて、「ディープ・パープル」と称して数回のライブを行いました。
このバンドはエヴァンスが在籍していない時代のディープ・パープルのレパートリーも演奏するなど、どこをどう考えても単なる偽者でした。宣伝に釣られて集まってきた観客たちも、ライブ中にそれに気づき、怒ってステージに瓶を投げ入れるなどひどい騒ぎになったそうです。もちろんエヴァンスはディープ・パープルのマネジメント側に訴えられて敗訴し、損害賠償を払ったうえに自分の関わった時代のディープ・パープルのアルバム印税の権利も放棄させられることになりました。
そのダメージがあまりにも大き過ぎたのか、その後エヴァンスは表舞台に姿を現していません。

まあそれは後の話なんで置いておくとして、新たなラインアップとなったディープ・パープルは、よりハードなサウンドを導入し、大きな人気を獲得するようになっていきます。


Deep Purple - Speed King


70年の4thアルバム『Deep Purple in Rock』のオープニング曲。
ディープ・パープルが初めてヘヴィメタル的な側面を打ち出した、記念碑的な曲ですね。
もう最初のジョンのハモンドオルガンの音色が最高(アルバムバージョンはキーボードから始まらないですが)。
リッチーのエキセントリックなギターソロやリフも印象的ですが、それに埋もれることのないイアンの金属音のような暴力的なシャウトもかっこいいです。


Deep Purple - Black Night


70年にプロモーション用に録音されたシングル。アメリカではさっぱり売れませんでしたが、全英では2位に入る大ヒットとなりました。
イントロのリフが最近までUCCブラック・無糖のCMとして使われていたため、誰でも一度は聴いたことがあるはず(ただし使われているのはカバーですけど)。
とにかくイントロと、その後のシャッフルリズムのリフがカッコよくて、それだけでも十分名曲と呼べるナンバーです。
当時日本でもシングルカットされ、ラジオを通じて10万枚を売り上げる大ヒットになったという人気曲でもあります。


Deep Purple - Highway Star


72年の6thアルバム『Machine Head』のオープニングを飾る名曲。
僕がディープ・パープルで最初に聴いたのがこの曲です。あまりのかっこよさに圧倒されました。
当時オルガンを習っていたせいもあって、中盤のジョンのバッハのコード進行を引用したキーボードソロには感動しましたね。
あと後半のリッチーの速弾きギターソロも、天才ギタリストの面目躍如たる素晴らしいものでした。
あまりにも有名な曲だったんで、中学・高校時代、学園祭にて必ず二、三組はコピーしてたバンドがいましたっけ。なお山口百恵もこの曲をカバーしています。


73年にはまたしてもメンバー間の対立から、イアンとロジャーが脱退することになりますが、代わりにデヴィッド・カヴァーディル(ヴォーカル)、グレン・ヒューズ(ベース、ヴォーカル)を加入させてバンドは活動を続行します。デヴィッドは前任のイアンよりもブルージーな歌を得意としており、またグレンも歌が大変上手かったため、ソウルフルな要素も加わるようになりました。


Deep Purple - Burn


74年リリースの8thアルバム『Burn』(邦題は『紫の炎』)のオープニング曲。
最近ではタマホームのCMで、替え歌が使われていることでも有名な曲でもあります。
デヴィッドのソウルフルな歌唱とグレンのハイトーン・シャウトのツインヴォーカル、リッチーのあまりにも有名なギターリフ、イアン・ペイスの派手なドラム・フィル、ジョンのキーボードソロと、全てが完璧な作品です。究極の様式美ハードロックですね。
映像は74年のカリフォルニア・ジャムのときのものです。このときディープ・パープルはエマーソン・レイク&パーマーとともにヘッドライナーを務めましたが、リッチーがカメラマンの撮影の仕方に腹を立て、ギターでテレビカメラを破壊してマーシャル・アンプ上に火を放ち、挙句に演奏後は器物損壊・消防法などで拘束される恐れがあったためヘリコプターで他州へ逃亡したという逸話があります。さすがリッチー。


しかしここでバンドの運命を左右する出来事が起こります。75年にギターのリッチーが脱退するのです。
後任にはアメリカ人の若手ギタリスト、トミー・ボーリンが加入しますが、バンドの中でもカリスマ的存在だったリッチーの不在は大きく、また音楽性の変化がファンも戸惑わせたこともあって、バンドは見る見るうちに求心力を失っていきました。
おまけに後任のトミーなんですが、ツアー中に東南アジアで劣悪な質のヘロインを摂取したため手指が麻痺しており、来日したときにはボトルネックギターしか演奏することができなかったという体たらくで、バンドの評価は散々に落ちました。その後アメリカツアーは何とかこなしたものの、イギリス公演は不評で観客にもプレスにも激しく叩かれたこともあって、バンドは活動停止状態に陥り、翌年にはメンバーが五月雨式に抜けていき、結局7月には解散してしまいます(トミーはこの年の12月にはドラッグの過剰摂取のため死亡している)。


その後84年には全盛期ともいえる第2期のメンバーで再結成しますが、またまたイアンとリッチーがもめてイアンが脱退してジョー・リン・ターナーが参加したり、そのイアンが戻ってきたかと思ったら今度はリッチーが脱退してスティーブ・モーズが入ったり、ジョンが脱退してドン・エイリーが入ったりと、なんだかよく分からない変遷を遂げながらも現在に至っています。
個人的にはリッチーとジョンのいないディープ・パープルは、ディープ・パープルとは言えないと思っているので、両者のいない現在にはまったく興味ないんですが(スティーブ・モーズはそれはそれですごいギタリストですけどね)。


今のディープ・パープルって、言葉を選ばず言えばまるで養老院みたいなんですけど、昔のパープルはすごかったですよ。
僕が高校生の頃にはもうアイアン・メイデンとかデフ・レパードとかも出ていたんですが、やっぱりパープルとその系列のレインボー、ホワイトスネイクの人気は絶大でしたね。ギランだけは人気ありませんでしたけどw
ツェッペリンですらそこまでは人気がなかった覚えがあります。やっぱりパープル系は日本人の琴線に触れる部分があるんでしょうか。