レッド・ホット・チリ・ペッパーズ

今日のMステに出演すると聞きましたので、今回はレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下レッチリ)です。
レッチリのことを説明するのも今さらですが、彼らは80年代中盤に活動をスタートさせて以来、それまで長らく西海岸のストリートに蓄積されていた音楽と価値観、つまりパンク、ハード・ロックサイケデリック、ファンク、ヒップホップといった様々な素材を、ジャンルも人種も関係なく、アート志向と肉体感覚の別も問わず、地下シーンのリアリティに従って全てごった煮にすることによって、独特の世界観を創り上げてきたバンドです。
その音楽世界はまさしく「アメリカの音楽文化のアンダーグラウンド版総集編」的な性格を持っており、トレンドと化したミクスチャーとは一線を画し、独自の進化の可能性を孕むクロスオーヴァー精神の原点として、世界中からリスペクトされています。


実はレッチリには個人的に結構思い入れがあります。
僕はこういう更新をしているんで、洋楽に非常に詳しく愛着も深いと誤解されている方も多いようなんですが、実は一つのバンドに対する執着はそれほどなくて、基本的に広く浅い聴き方をしています。
そんな僕が、XTCストラングラーズ、ELOと並んで、アルバム全部をちゃんと聴いている数少ないバンドが、このレッチリなのです。
出会いはかなり古いです。84年の1stアルバムはもう輸入盤で買ってましたから。
国内盤が出てないくらいですから、当然情報も持ってなかったんですけど、何となくバンド名が気に入ったんで買っちゃいました。今思うといいカンしてましたねww
92年には大宮ソニックシティでライブも見てます。この日のライブ終了後にギターのジョン・フルシアンテが脱退しちゃって、以後の日程がキャンセルになったんでしたっけ。危ないところでしたww


まあ個人的な思い出は置いておいて、とりあえず彼らの歴史を初期から辿ってみましょう。


Red Hot Chili Peppers- True Men Don't Kill Coyotes


84年の1stアルバム『Red Hot Chili Peppers』からのシングル。
畑にじょうろで水をやると、植物のようにメンバーが誕生して演奏を始めるという、なんとも間抜けなPVがいい味を出しています。
アメリカ原住民を主題にした野性味溢れる歌詞の曲ですが、音はリズムとスラップ奏法にこそ今に通じるものがあるものの、全体的に未完成と言うかプロトタイプな感じです。
特にサウンドワークはあまりに前時代的で、これに憤慨したメンバーは、プロデューサーであるアンディ・ギル(ギャング・オブ・フォーのギタリスト)に、糞の入ったピザを送りつけたという逸話も残っています。
個人的にはギターがジャック・シャーマン、ドラムスがクリフ・マルティネスなのがレアで興味深いですね。
シャーマンはギターのネックに潤滑スプレーをつけるほどの几帳面な性格だったため、当然奔放な他のメンバーとは性格が合わずに喧嘩を繰り返したという人物です。
マルティネスはキャプテン・ビーフハートのバンド出身で、様々なバリエーションの巨大な帽子をかぶるのが好きな人物でした。昔のライブやPVでよく確認できます。


Red Hot Chili Peppers - Get Up and Jump


この曲も『Red Hot Chili Peppers』収録曲。1985年の西ドイツでのライブです。
非常にファンキーかつエネルギッシュで、勢いが余っちゃってる感じが若さを感じさせてくれていいですね。
ナスターシャ・キンスキーなら骨までしゃぶり尽くしたいぜ」という歌詞も、彼ららしいバカっぽさが出ていて好きです。


Red Hot Chili Peppers- Jungle Man


85年の2ndアルバム『Freaky Styley』からのシングル。
前作とは違ってどっしり腰を据えたような重量感があり、野性味溢れる作風となっています。
このアルバムのプロデュースはなんとPファンク軍団の総帥であるジョージ・クリントン御大で、そのせいかマイケル"フリー"バルザリー(以下フリー)のベースがファンク色をガンガンと増していくのが聴いていて感じられますね。
ちなみにタイトルの「Jungle Man」とはフリーのこと。彼のあまりにも自由奔放な振る舞いを見て、ヴォーカルのアンソニー・キーディスがそう名づけて歌詞を書いたとか。
なおギタリストはジャック・シャーマンからヒレル・スロヴァクに代わっています。


Red Hot Chili Peppers - Catholic School Girls Rule


これも『Freaky Styley』収録曲。
スッタンスッタン言うリズムが印象的な、パンクロック色の強い曲で、この路線が後に踏襲されていきます。
アホっぽく疾走する感じがいかにも彼ららしく、非常にノリのよい曲です。


Red Hot Chili Peppers - Fight Like A Brave


87年の3rdアルバム『The Uplift Mofo Party Plan』からの先行シングル。
このへんになってくると、一般に知られているレッチリっぽくなってきます。ハードロックとパンクを混合させたような音に、ラップを乗せるというスタイルが確立されていますね。
「勇者のように戦うんだ」という強いメッセージ色を含んだ歌詞と、それと相反するようなコミカルでバカっぽいPVの対比が、なんとも味があって好きです。
ちなみにこのアルバムは初めてアメリカでチャートインし、アメリカ西海岸で進んでいたクロスオーヴァーの価値観の代弁者として、世界に広く紹介されるようになっていきます。日本盤が出たのもこのアルバムからだったと記憶しています。
なおドラムスはクリフ・マルティネスからジャック・アイアンズに代わっています。実はスロヴァグとアイアンズはもともとレッチリの結成メンバーだったため、このアルバムでついにオリジナル・メンバーが揃ったということになります。


ここまでレッチリは順風満帆でしたが、88年にバンドを揺るがす大事件が起こります。ギタリストのスロヴァグがヘロイン摂取過多によって死亡してしまうのです。
もともとレッチリはメンバー全員がおおっぴらにドラッグをやっていたという荒廃ぶりだったのですが、スロヴァグはなぜかメンバーに隠れたところでこっそりヘロインをやるのが好きで、そのために比較的安心と思われノーマークだったのが災いした形となりました。
おまけにドラムのアイアンズまでがそれにショックを受けた挙句、精神病院に入院することになり脱退*1し、バンドは崩壊の危機を迎えるのです。
キーディスとフリーはギターに若干18歳のジョン・フルシアンテ、ドラムスに巨漢チャド・スミスを迎えて態勢を立て直し、89年にエポックメイキングとなるアルバム『Mothers Milk』を発表するのですが、あまり書きすぎるとこれからのネタがなくなってしまうので、それはまた別の機会に。

*1:のちにジョー・ストラマーのバックを経てパール・ジャムへ移籍している。なおエディ・ヴェダーを当時パール・ジャムのメンバーに推して、バンドに加入させたのは彼。