シド・バレット

ピンク・フロイドというバンドをご存知でしょうか。あのプログレッシブ・ロックの大御所です。
プログレというジャンルは、クラシックやジャズなどをバックグラウンドにして、これでもかとばかりにテクニックを繰り出してきたり、難解な譜割でこちらの頭が混乱してきたりするようなバンドが多いのですが、ピンク・フロイドはそういう技術至上主義とは一切無縁で、浮遊感のあるアシッドっぽい音を特徴としています。
また歌詞に大変力が入れられており、社会における疎外感などをテーマにした文学的、哲学的なものとなっています。僕は少年の頃彼らの詩集を読んで衝撃を受け、以後英語を勉強するようになるなど大変影響されたのを覚えています。
そんなピンク・フロイドの初期の中心人物が、シド・バレットでした。
彼を中心にしていた頃のピンク・フロイドは、今よりさらにサイケデリックで幻想的な音を出していました。


Pink Floyd - Arnold Layne


67年にリリースされた彼らのデビュー・シングル『Arnold Layne』。
この曲は一見うたかたのような繊細な曲なのですが、歌詞は女性の下着を盗むという趣味をやめられなかった女装マニアの変質者アーノルド・レーンが、ついに警察に捕まり刑務所に入れられるというもので、一部のラジオ局で倫理的に問題があるとされて放送禁止になりましたが、BBCでお咎めがなかったことが幸いしたのか、全英で20位というまずまずのヒットを記録しました。
40年以上も前の曲ですから、今聴くとさすがに古さは感じますが、アシッド・フォークみたいな奇妙な味があって、個人的にはなかなかの珍味です。
マネキン人形を持って練り歩く、ちょっと意味不明なPVもなかなか。


Pink Floyd - See Emily Play


同じ年にリリースされた2ndシングル。当時は『エミリーはプレイガール』というすごい邦題がついていました。
童話をもとにした幻想的・抽象的な歌詞と、プログレというよりはサイケデリック・ロックに近いサウンド、のどかな感じさえ漂わせるポップなメロディーが特徴で、当時全英6位のヒットとなりました。
デヴィッド・ボウイはのちにアルバム『Pin Ups』でこの曲をカバーし、バレットから強く影響を受けたことを公言しています。
また同時期に発売された1stアルバム『The Piper At The Gates Of Dawn』(邦題は『夜明けの口笛吹き』)も、やはり全英6位とヒットしています。
この時期ビートルズはあの名盤『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(邦題は『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』)を録音していた最中だったのですが、ちょうど隣のスタジオでこのアルバムをレコーディングしていたピンク・フロイドの様子を覗きに行ったポール・マッカートニーが、その音の斬新さに驚き、「彼らにはノックアウトされた」と周囲に語ったという逸話もあるほどです。


しかしバレットはストレスやドラッグで次第に精神を蝕まれていき、レコーディングやライブで奇行を繰り返すようになっていきます。
バンドは代わりのギタリストとしてデヴィッド・ギルモアを加入させ、バレットを曲作りに専念させようとしましたが、それも不可能になるくらいバレットの状態は悪化し、68年ついに彼はバンドを脱退してしまいました。


その後70年になると、バレットはピンク・フロイドのメンバーやソフト・マシーンの協力を得て、印象的なソロ・アルバム『The Madcap Laughs』(邦題は『帽子が笑う…不気味に』)をリリースします。
これは全英で40位に入るヒットとなったため、EMIは次のアルバムの製作を指示、同じ年には2ndアルバム『Barrett』(邦題は『その名はバレット』)もリリースされました。


Syd Barrett - Octopus


『The Madcap Laughs』からのシングルカットで、邦題は『タコに捧ぐ詩』。
ジャンルとしてはサイケデリック・フォークなんですが、とにかく正常な精神状態で録音されたものではないせいもあって、正気と狂気の縁をさまよっているような、危機的な雰囲気を漂わせています。


その後バレットの精神はさらに荒廃していき、ドラッグをキメては彼女に暴力を振るい、手がつけられないようになっていきました。
ソロ・アルバムのジャケ写を撮ろうとしたところ、バレットが部屋から出てこないため、デザイナーとカメラマンが部屋に駆けつけると、床全体がストライプに塗られていたうえ、バレットに殴り倒された全裸の女性が失神していて、二人は仰天したなんてエピソードもあったくらいです。
また75年頃、ピンク・フロイドが名盤『Wish You Were Here』(邦題は『炎〜あなたがここにいてほしい』)をレコーディングしていた際、スタッフではないハゲて太った男がスタジオに現れ、シャツのボタンを留めたり外したりを繰り返していて、メンバーがよく見るとそれが変わり果てたバレットの姿だった、という話も有名です。
バレットは自分を未だにバンドのメンバーだと思い込んでいて、メンバーに「どのパートのギターを弾こうか」と聞いてきたというのですが、かつての才能あるリーダーでもあり、ハンサムでもあった人物のあまりの様変わりっぷりに、ロジャー・ウォーターズは大泣きしたと伝えられています。
メンバーはバレットの影に怯え、バレットがなぜ発狂したのかを考え、バレットを自分たちが助けられなかったことに対する罪悪感に苛まれつつ、その結果狂ってしまうことをポジティブに捉える『Wish You Were Here』を物します。
またウォーターズはそのうえ自分が被害妄想という病に罹ったこともあり、自分とバレットを混同した結果ピンクというキャラを作り出し、ピンク・フロイドの最高傑作である『The Wall』を制作することとなります。
社会の様々なプレッシャーやドラッグの影響で、心に壁を作っていくロック・スター、ピンクの物語である『The Wall』は、そのままバレットの人生と言ってもよいのかもしれません。


一方バレットのほうですが、70年代半ばころからはさらに病が悪化して完全に自宅に引きこもってしまい、印税収入と生活補助により隠遁生活を送るようになります。
一度英国のロック雑誌が彼の突撃インタビューに成功し、僕もそれの日本語訳を読みましたが、あきらかに統合失調症の人の会話になっていて、悲しくなったのを覚えています。
それでも彼の信者は後を絶たず、まるで都市伝説の如く毎年のように復活が噂されていたのですが、結局それが実現することはなく、06年に糖尿病に起因する合併症のため、60歳で死去しました。
死後に行われたパレットの実妹のインタビューによると、彼の精神病は過度に強調されていることが示唆されており、美術史に関する研究書の執筆に傾注していたことや、地元住民と友好的な関係を築いていたことも語られています。本当ならそれに越したことはないのですが。
それと60年代にバレットの母親が実家を下宿として貸し出していた時期があり、そこに当時イギリス留学に来ていた小泉純一郎が住んでいたことがあるという、すごいエピソードも残っているらしいですね。ここでピンク・フロイド自民党が繋がるか、って感じで驚きました。