ハウス・オブ・ラブ

どうもです。
今日はどんよりとした曇り空なんで、それに合わせてちょい暗めのネオ・サイケあたりを取り上げてみようかと思いまして、ハウス・オブ・ラブについて書くことにしました。
このバンドは知名度どれくらいなんですかね。少なくともデビューした頃は、本国ではザ・スミスの後継者的な扱いをされてましたし、日本でも同時期のマイ・ブラッディ・ヴァレンタインあたりより期待されていた記憶があるんですが、思ったより売れなくてトーンダウンしたって印象があります。
個人的には独特の薄暗くて鬱っぽい感触や、若干古風ではあるものの繊細でメロウな旋律、全編に漂う冷ややかな緊張感が好きで、結構愛聴していたのですが。


ハウス・オブ・ラブは86年に、英国ロンドン南部のカンバーウェルで結成されました。
中心人物のガイ・チャドウィック(ヴォーカル、ギター)は西ドイツのハノーバーで駐留英国陸軍将校の息子として生まれ、少年期をシンガポールやマレーシアで送り、その後英国に戻ってきたという経歴を持っています。
またあまり知られていませんが、チャドウィックは80年代前半にザ・キングダムというニュー・ロマンティック系のバンドを結成していて、RCAレコードからシングルデビューしています。ハウス・オブ・ラブとニュー・ロマンティックってベクトルが正反対のように思えるのですが、とにかくそのため彼はバンド結成の時点でもうそこそこのキャリアを持っていて、年齢も30歳になっていました。
チャドウィックは旧友のピート・エヴァンス(ドラムス)とともに新しい音楽活動をするため、メロディーメイカー誌にメンバー募集広告を出し、それを見て連絡してきた元コレンソ・パレードのテリー・ビッカーズ(ギター)、ドイツ人女性のアンドレア・ヒウカンプ(ギター)、ニュージーランド出身のクリス・グロートフイゼン(ベース)をメンバーに迎え、バンドを結成します。チャドウィックはアナイス・ニン*1の小説『A Spy in the House of Love』(邦題は『愛の家のスパイ』)から取って、バンドをハウス・オブ・ラブと名付けました。
バンドは翌87年にインディー・レーベルの雄であるクリエイションと契約し、同年にシングル『Shine On』でデビューします。この曲は非常に評判が良く、彼らは一躍マスコミの注目の的となり、ザ・スミスの後継者として持ち上げられるようになりました。


The House of Love - Shine On


彼らのデビューシングル。
繊細で憂いを含んだメロディー、サイケだけど美しいギターの響き、シリアスでどこか切迫した雰囲気を持つヴォーカルが印象的な、彼らの代表曲ですね。
メジャーに移ってからもう一度リミックスされてリリースされるなど、彼らもこの曲の出来には相当な自信を持っていたと思われます。


The House of Love - Christine


同年リリースのシングル。ビルボードのモダンロック・チャートで8位。
重苦しいけど繊細なメロディーを、深くリバーブの効いたクールなギターの響きが包み込んで、結果凛とした美しさを持った曲になっていると思います。
これも彼らの代表曲で、04年にガーディアン紙に掲載された、「インディポップ黄金期を飾るシングル10選」なる企画でも10位に選ばれています。


しかし87年末にはツアーの疲労により、ヒウカンプは脱退してしまいました。この離脱は円満なもので、彼女はその後何度もハウス・オブ・ラブのレコーディングに参加していますし、一度は短期間ながら正式メンバーとして復帰もしています。
バンドは代わりのメンバーを入れずに4人組となり、翌88年にはデビューアルバム『The House of Love』のレコーディングを開始しました。
所属レーベルのクリエイションは当時かなり経営が苦しく、このアルバムの制作費として10万ポンド(当時のレートで約1800万円)の借金をしたため、彼らの売り上げにはレーベルの命運がかかっていたそうです。余談ですがクリエイションは、他にもマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのアルバム『Loveless』に25万ポンド(当時のレートで約4500万円)の制作費をかけたため(これはマイブラ側に問題があったんですが)、レーベルが倒産寸前に陥ったことがあるなど、お金のことでは苦労が多い印象がありますね。そのためオアシスなどの売れっ子を抱えていたのに常に財政難で、ソニーから金銭面で支援を受けていましたが結局99年に経営が破綻して倒産してしまいました。
話が飛んでしまいましたけど、結局『The House of Love』は好評で13万枚を売り上げる大ヒットとなり、クリエイションの賭けは吉と出ました。創設者のアラン・マッギーも、後のインタビューでこのヒットによってレーベルは崩壊から踏みとどまったと語ってましたし。
アルバムは僕も聴きましたが、薄い霧がかかったかのようないかにも英国らしいくすんだ音と、人間の混沌とした内面を抉り出すかのようなチャドウィックの歌詞、憂鬱で切羽詰った感じがするのに不思議と優しいヴォーカルに好感を持ちました。ネオ・サイケってたいていだらだらと冗長な面があるんですが、彼らの音はあくまでもシャープかつコンパクトなのも良かったです。全英49位。


好調なスタートを切って注目を浴びたハウス・オブ・ラブは、当然メジャー・レーベルからの誘いを受けることとなります。結果彼らは40万ポンド(当時のレートで約7200万円)という高額な契約金を受け取り、フォノグラム系列のフォンタナ・レコードに移籍します。
しかしこの移籍はバンドにとってはあまり良くないものだったのかもしれません。何故ならフォンタナ側は投資に相応しい成功を求めて、バンドに対してヒットを要求するようになったからです。
これを見越していたのかそもそも移籍に反対だったビッカーズは、チャドウィックに対しても不満をあらわにします。チャドウィックも内心ではこの移籍を失敗だったと思ったようなのですが、もはや後戻りすることはできず、結果プレッシャーからドラッグに溺れ、挙句に躁鬱病にも悩まされるようになりました。
そんな中バンドは、90年に2ndアルバム『The House of Love』(邦題は『シャイン・オン』)をリリースします。クリエイションからのデビューアルバムとまったく同じタイトルで、しかも西ドイツのラフ・トレードから出たコンピレーションまでこれと同じタイトルだったので非常にややこしいんですが、これはレッド・ツェッペリンのアルバムが1枚目から4枚目まで全部『Led Zeppelin』だった(便宜的にIからIVまで数字をつけて呼ばれている)なのと同じことと考えるべきなんでしょうか。ちなみにフォンタナ版の『The House of Love』は、ジャケットの蝶の絵をとって「The Butterfly Album」と呼ばれています。
このアルバムは評価が難しいですね。少なくともクリエイション時代のファンは、当時これを完全黙殺してましたから。
何故かというとフォンタナ側のオーバー・プロデュースのせいで、前作にあった繊細さが失われたように感じられたというのが大きいようです。
相変わらず楽曲の質は高いですし、『Shine On』のリミックスのように力強く生まれ変わっている曲もありますし、またビッカーズのギターは相変わらず素晴らしいので、個人的にはそんなに嫌いでもないのですが、確かに前作ほどバンドとしての煌きは感じられないかもしれません。全英8位。


The House of Love - I Don't Know Why I Love You


『The House of Love』からのシングル。全英41位、ビルボードのモダンロック・チャートで2位。
地味ながら力強いビート感を持つ曲ですね。この分かりやすい感じはクリエイション時代にはなかったかもしれません。
歌詞は愛の狂おしさを歌っていて、ものすごく思春期的な感じがします。30歳を過ぎてこれを臆面もなく歌うというのは、なかなかすごいなと思いましたっけ。


The House of Love - Shine On


これも『The House of Love』からのシングル。全英20位を記録し、彼ら最大のヒットとなっています。
デビュー曲をリミックスしたもので、繊細さこそやや失われたものの、荒々しくダイナミックで力感溢れた仕上がりになっています。あとやはり曲がいい。
レコード会社からはヒットを求められ、バンド内は不和という八方塞の状況でありながら、それでもとにかく前へ進もうとするチャドウィックの意志も感じられ、個人的にこのリミックスには好感を持っています・


The House of Love - Beatles and The Stones


これも『The House of Love』からのシングル。全英36位。
フォーキーで優しい感じの曲ですが、実は17歳当時のチャドウィックの孤独な魂を救った、ビートルズローリング・ストーンズについての賛歌ですね。
歌詞ももちろんですが、冒頭部で「君はビートルズがキリストより有名だったって読んだことがあるかい」という声と、ミック・ジャガージョン・レノンのインタビューがインサートされているのも、時代を共有する人にとってはじわじわ来るんじゃないでしょうか。


アルバムはヒットしましたが、この頃バンドは厳しい状況に置かれていました。
まずはツアー中に、かねてからチャドウィックと対立していたビッカーズがクビになってしまいます。バンドは後任にカナダのデイブ・ハワード・シンガーズでギターを弾いていたサイモン・ウォーカーを迎え入れますが、強い個性を持ったギターを弾くビッカーズが抜けたのは大きかったですね.
それともう一つ、周囲を取り巻く状況の変化がありました。80年代末から台頭してきたストーン・ローゼズハッピー・マンデーズなどに代表されるマッドチェスター(マンチェスターサウンド)のブームが、レイブ文化などに影響を受けた享楽的なダンスビートによって一気にシーンの風景を塗り替えてしまったのです。
こうなると陰鬱で繊細なところが売りの、彼らのようなバンドは苦しくなります。音楽のベクトルがまったく正反対のサウンドが、主流になってしまったんですから。
それでも彼らは意欲的な活動を続け、92年には3rdアルバム『Babe Rainbow』をリリースしました。
このアルバムは時代性を取り入れたのかやや華やかで煌びやかな要素もあるんですが、曲はしっかり練りこまれていて完成度が高く、なかなかの力作となっています。評論家ウケも非常に良かった記憶がありますね。
しかしやはり時代は彼らに味方しませんでした。マッドチェスター・ブームは短期間で終わったんですけど、91年にはニルヴァーナの『Nevermind』がリリースされたことによってグランジ・ブームが世界を席巻し、また92年にはスウェードがデビューし、ブリットポップも黎明期を迎えていました。そんな中ハウス・オブ・ラブのサウンドは時代遅れと映ったのか、セールスは全英34位とまったくふるいませんでした。


The House of Love - Feel


『Babe Rainbow』からのシングル。全英45位。
地味なのは否めませんが、陰影に富んだメロディーと繊細なギターサウンドが光る、なかなかの佳曲です。


The House of Love - You Don't Understand


これも『Babe Rainbow』からのシングル。全英46位、ビルボードのモダンロック・チャートで9位。
彼らには珍しくポップかつ華やかでダイナミズムに溢れたナンバー。まあ無理して明るく振舞ってる感がなくもないですが、チャドウィックのヴォーカルはやはり地味なままで、そこに安心します。


『Babe Rainbow』リリース後、ウォーカーは音楽性の違いにより脱退し、代わりにウッデントップスのギタリストだったサイモン・マウビーが加入します。
しかしそのマウビーもオーシャン・カラー・シーンらとの合同ツアーが終了すると脱退してしまい、結局バンドはトリオ編成になって、93年に4thアルバム『Audience with the Mind』をリリースしました。
このアルバムはツアー中に作った楽曲を、わずか12日間でレコーディングしたもので、これまでの神経質なくらい徹底的に作り込んだ作品とは趣を異にしています。悪い意味で肩の力が抜けていて、これまであった緊張感のようなものが感じられず、正直散漫な出来になっていましたね。祭りの後の虚脱感のようなものを感じる内容でした。全英38位。


The House of Love - Hollow


『Audience with the Mind』からのシングル。チャートインはしていません。
生真面目な感じが前面に出ているあたり、確かにハウス・オブ・ラブの音ではあるんですが、いまいち芯がなくてピシッとしない感じですかね。


商業的に低迷するようになったうえに、アルバムリリース後に昔からの友人でもあったエヴァンスが、音楽界からの引退を表明して脱退してしまったことも重なり、チャドウィックもついにバンドの存続を諦め、93年末にハウス・オブ・ラブは解散してしまいます。
もっと成功できるだけのポテンシャルはあったんでしょうけど、メジャー移籍によっていろいろスポイルされたのと、あと音楽シーンの変化が激しい時期に居合わせたため、何をやってもことごとく間が悪い感じになっちゃって、時流に乗れなかったというのが災いしたと思います。要するに運がなかったんですよね。まあ運も実力のうちなんですけど。


その後チャドウィックはソロに転身し、98年にはソロアルバム『Lazy Soft and Slow』をリリースしています。これは後になって動画サイトで何曲か聴きましたが、完全にシンガーソングライターになっており、サウンドも実に穏やかで優しい作風に変化していました。またこの年にはソロで来日も果たしていますね。
途中で脱退したビッカーズは、90年代前半にレヴィテイションというバンドを結成していました。このバンドはハウス・オブ・ラブをさらにサイケデリックにした感じだったんですが、メロディーがいまいちでパッとしなかったですね。このバンドの失敗後は、パラダイス・エステート、クレイドル、モンキー3といったバンドを結成しては潰していました。
また引退を表明していたエヴァンスも、マイ・ホワイト・ベッドルームというユニット(これはハウス・オブ・ラブ在籍時からサイドプロジェクトとして存在していました)で活動したり、他のミュージシャンのレコーディングに参加したりと、音楽活動を続けていたようです。グロートフイゼンは建築家に転職しましたが、エヴァンスのやっていたマイ・ホワイト・ベッドルームには参加していたらしいですね。
そんなこんなで今世紀に入ると人間関係のわだかまりも解けたのか、03年にはチャドウィックとビッカーズがジョイントでアコースティック・ライブを行っています。そこで再び意気投合した二人は、かつてのメンバーであるグロートフイゼンとエヴァンスを呼び戻し、05年にはハウス・オブ・ラブを復活させたのでした。
残念ながらグロートフイゼンは建築家の仕事が忙しかったためすぐに脱退したんですが、代わりのベーシストにマット・ジュリーを迎え、05年と13年にアルバムをリリース(ちゃんと日本でも出てる)するなど、バンドは現在もマイペースに活動しているようですね。


The House of Love - Love You Too Much


05年の5thアルバム『Days Run Away』からのシングル。全英73位。
多少憑き物が落ちた感はありますけど、基本的には変わってません。いい感じで枯れていて、それでいてサイケデリックで味があります。


あと5年出てくるのが早かったら、さすがにエコー&ザ・バニーメンまではいかなくともかなり成功したと思うんで、巡り合わせその他いろいろと惜しまれるんですが、せっかく復活したんですからこれからは自由に活動してほしいものです。

*1:フランスの女性作家。主に女性の性愛をテーマにしており、近代ヨーロッパで性愛小説を書いた最初の著名女性作家とされる。また11歳の頃から60年以上にわたって書かれた日記を出版し、知り合った多くの著名人を深く分析した描写で話題になったこともあった。ヘンリー・ミラーの愛人だった時期もある。