ワイルド・ホーシズ

このブログではあまり評判が良くないので控えめにはしてるんですが、やっぱりハードロックやヘヴィメタル、ヘヴィロックについて書いてみたいんですよね。
ちょうど中高生の頃がパンクやニューウェーブとぶつかっていたせいもあって、そのへんの音楽を取り上げることが多いんですけど、僕の場合もともとはパンクが生まれる前から洋楽は聴いていたんで、実はディープ・パープルやレッド・ツェッペリンあたりがルーツなんです。
だからなんでしょうか、時々流麗なギターソロやハードなリフが無性に恋しくなって、どうしてもハードロックやメタルが聴きたくなるんですよね。これはもう自分ではどうにもできないのですよ。
というわけで今回は80年代初期のブリティッシュ・ハードロックをネタにしようと思います。とは言えアイアン・メイデンとかデフ・レパードとかそのへんについて書くと長くなって身体的にきついので、このブログらしく泡沫な感じのバンドでいこうかなと。
ですから今回はワイルド・ホーシズを取り上げることにします。NWOBHMNew Wave Of British Heavy Metal)の勃興期に日本では大々的に取り上げられたので、もしかしたら御存知の方もいるかもしれません。


ワイルド・ホーシズは78年夏に英国ロンドンで、元レインボーのベーシストだったジミー・ベインと元シン・リジィのギタリストだったブライアン・ロバートソンを中心に結成されたバンドです。
ベインは前年、レインボーのボスで独裁者として名高かったリッチー・ブラックモアによって解雇されており、またロバートソンはシン・リジィで自分のアイディアがなかなか取り上げられないことに不満を持って脱退していました。そんな二人が再び表舞台に躍り出るために結成したのが、このワイルド・ホーシズですね。
当時インタビューを読みましたが、ベインはレインボーを解雇されたことを相当根に持っていた様子で、古巣(というかリッチー)を見返してやるという気負いが全面に溢れていましたっけ。一方ロバートソンは脱退はしたものの、シン・リジィのリーダーであるフィル・ライノットとの友好関係は続いていたため、そんなギラギラしたところは見えなかったんですが。
話がずれますが、ライノットはワイルド・ホーシズに楽曲提供するなど、ロバートソンに対してはあくまで協力的でした。この面倒見の良さは素晴らしいですね。ブームタウン・ラッツU2アイルランドから出てくる際も、ライノットがいろいろバックアップしたという話は有名ですし。シン・リジィは脱退するメンバーも多かったんですが、誰一人としてライノットの悪口を言わず(ゲイリー・ムーアがライノットの麻薬癖を批判したことはあったが、あくまで友人からの忠告というニュアンスだったし、その後何度も共演している)それどころか慕っていたのは、こういう彼の人柄があったんだろうなと改めて思います。
ちなみに結成時のメンバーは、ベイン(ヴォーカル、ベース)、ロバートソン(ギター、ヴォーカル)、元サンダークラップ・ニューマン(69年、16歳の時『Something In The Air』で全英1位を獲得し、「全英1位獲得曲で演奏した最年少のギタリスト」となった)、ポール・マッカートニー&ウイングスのジミー・マカロック(ギター)、元スモール・フェイセズのケニー・ジョーンズ(ドラムス)というすごいラインアップでした。このメンバーでデビューしていたら本当にスーパー・バンドでしたね。まあオールド・ウェイブ臭はぷんぷんしてますが。
しかしこの編成は長続きするわけもなく、すぐにマカロックとジョーンズは脱退してしまいます。ベインとロバートソンはギルバート・オザリバンのバックバンドにいたニール・カーター(ギター、キーボード)、ローン・スターという知る人ぞ知るハードロックバンド(ギターのポール・チャップマンが後にUFOに加わったことで局地的に有名)にいたディクシー・リー(ドラムス)を加え、地道なライブを重ねてバンドの基礎を築いていきました。
そして79年の夏、有名な野外フェスであるレディング・フェスティバルに出演した後、EMIレコードとの契約を取り付け、同年シングル『Criminal Tendencies』でデビューを果たすこととなるのです。この頃リーは脱退し、パット・トラヴァース・バンドやウルリッヒ・ロート&エレクトリック・サンで叩いていたクライブ・エドワーズが加入しています。


この当時のハードロックやヘヴィメタルを取り巻く状況について簡単に説明しておきましょう。
70年代後半にパンクやニューウェーブが勃興すると、それまでのロックの主流だったハードロックやプログレッシブ・ロックなどは、一部の例外を除いては時代遅れの音楽として揶揄されるような存在になりました。
しかしそんな状況は長くは続かず、70年代末になるとアイアン・メイデン、サクソン、デフ・レパードらの若いヘヴィメタル・バンドが次々と生まれ、ローカルな活動を経て次々とメジャーな舞台に出てくるようになりました。このパンクへのアンチテーゼのようなムーブメントは、一般にNWOBHMと呼ばれています。
ワイルド・ホーシズの登場した時期は、ちょうどこのムーブメントがメジャーに及んできた頃と被っています。そのため彼らは世代的にもキャリア的にも一切重ならないにもかかわらず、NWOBHMの一員として扱われることとなりました。売り出す側としてもメンバーの知名度を生かしつつ、NWOBHMの波にも上手く便乗していければ成功の可能性も高い、と踏んだのかもしれません。
というわけでワイルド・ホーシズは、アイアン・メイデンデフ・レパード、ガールとともに「NWOBHM四天王」と呼ばれることとなりました。まあこれは日本だけの呼び方なんでしょうけど。
当時僕は『ミュージック・ライフ』誌を購読していたんですが、誌面ではNWOBHMを扱うにあたって、ガールとワイルド・ホーシズをプッシュしてました。ガールはルックスが良かったのでアイドル的な人気を見込んだんでしょうし、ワイルド・ホーシズは「元レインボーやシン・リジィのメンバーがいるバンド」というのが押される要因になったんでしょう。そのバンドが両方とも評価もセールスも芳しくないままほどなくポシャったため、同誌の見る目のなさが露呈した感じになってしまいましたが、まあそれは別の話ですね。


当時は僕も高校生になったばかりでしたから、雑誌のプッシュをある程度鵜呑みにはしていて、なんかいろいろとすごそうなバンドが出て来るんだと思ってました。当時は他に情報源もなかったですし。
というわけでまずはガールを聴いてなかなか気に入ったんで、ワイルド・ホーシズに関しても結構期待していて、かなりわくわくしながらFMで彼らのシングル『Fly Away』を聴いたんですよ。


Wild Horses - Fly Away


彼らのシングル。日本ではデビューシングルですが、本国では3枚目のシングルでした。
ベインとライノットの共作で、伸びやかなロバートソンのギターが印象的な、いかにもブリティッシュっぽい湿り気を持った美しいバラードですね。
ベインは本職のヴォーカリストではないため、歌は有体に言ってしまえば下手なんですが、舌足らずで甘い感じもあって、結構味があると思います。
ただリアルタイムで聴いた時には、「こんなもんなの?」という感想を持ってしまったのは否めないですね。その前に聴いたガールが若さに溢れた無鉄砲な演奏を展開し、ある意味パンクにも通じる面があったのに対し、ワイルド・ホーシズはあまりに落ち着き過ぎていて物足りなさ、もっとはっきり言ってしまえば古さを感じたんですよ。
今聴くとこの古色蒼然とした佇まいが、逆に魅力的に感じるんですけどね。そのへんこちらも若かったですし、出会った時期が悪かったのかもしれません。


Wild Horses - Faces Down


これも彼らのシングル。本国では2枚目のシングルでした。
この曲は正統派のブリティッシュ・ハードロックにポップなフレーバーをまぶした感じで、個人的にはなかなかいけると思うんですが。ベインもロバートソンもこういうのがやりたかったんだろうな、というのはよく分かります。
メロディは非常に分かりやすいですし、手癖だらけのギターソロもいかにもベテランらしい味があって、おーっと唸ってしまいますね。
あと番組のホストがライノットなのも泣けます。さっきも書きましたけど本当に面倒見のいい人だったんだなあ。


しかしワイルド・ホーシズの売り上げは本国ではさっぱりでした。シングルはどれもチャートインしませんでしたし、アルバム『Wild Horses』(プロデューサーはトレヴァー・ラビン)も全英38位に止まりましたから。
やはりこういう伝統的なハードロックは、NWOBHMのブームの中では異端でしたから、ファンからも古いと思われてそっぽを向かれたのかもしれませんね。
あと売れ線を狙い過ぎたのか、全然ヘヴィじゃなかったのもよくなかったのかもしれません。曲によってはAORかと思ってしまうのもありましたから、アイアン・メイデンのようなゴリゴリな音がウケる時代には苦しいでしょう。
ただ日本ではネームバリューと宣伝のおかげなのか、それなりに人気はあったように記憶しています。この年中野サンプラザなどで来日公演も行ってますし(ライブ盤が今年CD化されてビックリ)。


この後カーターがUFOに誘われたため脱退してしまいます。マルチ・プレイヤーとしてライブやレコーディングで大活躍した彼が抜けたのは、バンドにとっては打撃だったようですね。
ワイルド・ホーシズは後任ギタリストにNWOBHMのバンド、レッド・アラートに在籍経験のあるジョン・ロックトンを迎え、81年には2ndアルバム『Stand Your Ground』をリリースします。


Wild Horses - The Axe


『Stand Your Ground』収録曲。シングル『Everlasting Love』のB面でした。シングル曲はYouTubeになかったもので。
前作の不評っぷりが堪えたのか、かなりハードな部分を前面に押し出した曲になっています。その分ポップなところは後退していますが、当時のリスナーの好みには合ったんじゃないでしょうか。
ロバートソンのギターは古典的でありながらもなかなかスリリングで、個人的には結構好きなんですが、楽曲の魅力という点ではどうでしょうか。


しかし最初の躓きがまだ響いていたのか、アルバムもシングルもまったくチャートインしないという惨敗に終わり、失望したロバートソンとエドワーズはワイルド・ホーシズを脱退してしまいます。
それでもベインはまだワイルド・ホーシズでの活動を諦めず、ロートレックなるバンドにいたローレンス・アーチャー(ギター)、その継父にあたるルーベン・アーチャー(ヴォーカル)、ロックトンのレッド・アラートでの同僚で、初期のデフ・レパードにちょこっとだけ在籍していた経験もあるフランク・ヌーン(ドラムス)を迎え、なんとかバンドを存続させようとします。
これで落ち着けばまだ可能性もあったのかもしれませんが、残念ながらこのラインアップは何度かライブを行っただけですぐに空中分解してしまったため、さすがのベインもついに諦めてバンドを解散させてしまいました。
NWOBHM四天王」の中ではぶっちぎりで不運な顛末に終わりましたが(ガールも大差ないと言えばその通りですけど)、時代とのマッチングがうまくいってない感が強かったので、これはまあ仕方ないんでしょうね。


メンバーのその後ですが、ベインはとりあえずゲイリー・ムーアケイト・ブッシュなどのバックを担当していました。
また一時はギャラで揉めてクビになったフランシス・ブッフホルツの後任としてスコーピオンズに迎えられ、何曲かをプレイしています。スコーピオンズのリーダーであるルドルフ・シェンカーは彼の加入を望んだものの、マーケティング上ラインアップをドイツ人で統一することに固執したレコード会社上層部によってそれは撥ねつけられ、結局はブッフホルツが呼び戻されることとなり、ベインの録音したパートは破棄されたそうです。今のスコーピオンズはドラムスにアメリカ人のジェイムス・コタック(元キングダム・カム、ウォレント、マッコーリー・シェンカー・グループ)が迎えられており、ドイツ人縛りはなくなっているようなので、これは時期が悪かったとしか言いようがないですね。
しかし83年、レインボーで同じ釜の飯を食ったロニー・ジェイムス・ディオに誘われ、彼のバンドであるディオに加入すると、そこでヒットを連発してこれまでの低迷から脱却することに成功しています。
ディオの死後はバンドの同僚だったヴィヴィアン・キャンベル(現デフ・レパード)、ヴィニー・アピス(カーマイン・アピスの弟)らとつるんでいるようですね。
ロバートソンは脱退後、82年にモーターヘッドに加入しています。これは正直ビックリしましたっけ。
スラッシュメタルやパンクの要素を包含するモーターヘッドと、メロウなプレイを身上とするロバートソンの個性が合うとはとても思えなかったのですが、案の定両者はまったくフィットせず、作品の出来も従来のファンをガッカリさせるような中途半端なものとなり、「ロボ(ロバートソンの愛称)を殺す」と言い出す者まで現れる始末で、結局83年には脱退を余儀なくされています。
その後マイケル・シェンカー・グループのヴォーカリストだったゲイリー・バーデンと組んで、ステイト・トゥルーパーなるバンドを結成しますがこれもうまくいかず、その後はブルース・ギタリストとしてマイペースで活動しているようですね。またシン・リジィの再結成にも一度参加しています。
マカロックは79年に自らのバンド、デュークスを結成しアルバムもリリースしていますが、同じ年にヘロインの過剰摂取による心臓発作で亡くなっています。享年26。
ジョーンズはキース・ムーンの後任としてザ・フーに加入し、88年の再結成ライブまで在籍していました。90年代には元フリー、バッド・カンパニーのポール・ロジャースとともにザ・ロウなるバンドを結成しましたが、その後はセッション・ミュージシャンとしての活動が多いようです。また来年にはロッド・スチュワートとともにスモール・フェイセズの再結成も行うとか。
カーターはUFOに在籍した後ゲイリー・ムーアのもとでも活動しましたが、現在はクラリネットやフルート、ファゴットのプレイヤーとして、主にクラシック音楽の世界で活動しているようです。ブライトン大学で教鞭も取っているとか。
リーは一時期NWOBHMのバンドであるペルシャン・リスクで叩いていました。なおペルシャン・リスクで彼の同僚だったフィル・キャンベルは、現在モーターヘッドのギタリストですし、初期のヴォーカリストだったジョン・デヴァレルは、後にタイガーズ・オブ・パンタンで活躍しています(『Spellbound』は名盤)。
エドワーズは脱退後、アイアン・メイデンのギタリストだったデニス・ストラットンとともに、ライオンハートで活動していました。その後UFOでも叩いていましたが、現在はセッション・ミュージシャンとしての活動が多いようで、元ユーリズミックスアニー・レノックスのバックなどに参加しています。意外なところではザイン・グリフのデビュー・シングル『Tonight』のドラムも彼なんですね。
ロックトンは西ドイツのハノーバーに渡って現地のメタルバンド、ヴィクトリーに加入し86年まで在籍していました。彼の在籍時に録音されたアルバム『Hungry Hearts』を偶然持ってます(ロックトンがワイルド・ホーシズのメンバーだったとは当時知らなかった)が、なかなか剛直な感じの音で好感を持ちましたっけ。
ローレンス・アーチャーは一時期スタンピードというバンドを結成していましたが、その後ライノット、元マグナムのマーク・スタンウェイとともにグランド・スラムを組んでいました。解散後はUFOに加入して活動し、脱退後はエドワーズや元UFOのダニー・ペイロネル、元マイケル・シェンカー・グループ、ライオンハートのロッキー・ニュートンとともに、UFOのスピンオフ・バンドであるX-UFOを結成しています。つーかどうでもいいけどUFOとの係わりが多過ぎる気がしますが。
ルーベン・アーチャーはローレンスとともにスタンピードを結成した後、エドワーズも在籍していたライオンハートで歌った時期がありました。
ヌーンは元ギランのギタリスト、バーニー・トーメが率いていたエレクトリック・ジプシーで叩いていましたね。


最近ベインのインタビューを読みましたけど、ロバートソンとはここ数年会ってはいないものの、カーターやエドワーズとは連絡を取り合ってはいるそうです。
そこではワイルド・ホーシズの再結成についても水を向けられていましたが、「ブライアンに話をしてみないとね。他の二人は間違いなく喜んで同意すると思うよ」と答えていました。
なんでもアメリカで成功できなかったのが心残りだということでして、ちょっとはやってみたい気持ちはあるようです。アルバムもアメリカや日本で再発されるなど再評価も進んでいるので、可能性はゼロではないのかもしれませんね。