ナイト

久々に週一で更新します。3ヶ月ぶりくらいになるんですかね。
2月からこのかたずっと体調が悪かったわけですが、いい加減回復してきたようで今は毎日そこそこ好調です。これがこのまま続いてくれるといいのですが。
さて前回に引き続いて今回も、僕が中学生くらいの頃にヒットしたけど、現在は忘れられてしまったバンドを取り上げてみようかと思います。
と言っても参加していたメンバーがそれなりに大物だったため、前回のタイクーンほど無名ではありません。でも今も覚えている人が結構いるかって問われれば、微妙と答えるしかない感じですね。というわけでナイトです。


ナイトは78年に米国ロサンゼルスで、クリス・トンプソン(ヴォーカル、ギター)を中心に結成されたソフト・ロック・バンドです。
トンプソンはマンフレッド・マンズ・アース・バンドのヴォーカリストとして活躍していた人物です。77年には『Blinded By the Light』(邦題は『光に目がくらみ』。ブルース・スプリングスティーンのカバー)でビルボードの1位に輝くなど、当時絶頂期にあったヴォーカリストですね。
トンプソンは70年代初頭にオーストラリアでこの世界に入り、その後成功を求めて故郷の英国に渡って、無数のセッションにゲスト・ヴォーカリストとして参加した経験のある苦労人ですが、アース・バンドでの成功で自信をつけたのでしょうか、自分のバンドが欲しくなりました。そこでスウィート、リック・ウェイクマントレヴァー・ラビン、UFOなどと仕事をした経験があり、当時アース・バンドでバックコーラスを担当していた女性ヴォーカリストのスティービー・ラングを誘って、LAで立ち上げたバンドがナイトです。
メンバーはトンプソン、ラング、ロビー・マッキントッシュ(ギター)、ビリー・クリスチャン(ベース)、ピート・バロン(ドラムス)、ニッキー・ホプキンス(キーボード)という布陣です。全員がセッション・ミュージシャン出身ですね。
この中で出色なのはホプキンスの存在でしょうか。ローリング・ストーンズのアルバム『Between the Buttons』『Their Satanic Majesties Request』(邦題は『サタニック・マジェスティーズ』)『Beggars Banquet』『Let It Bleed』で見事なピアノを披露する他、ビートルズザ・フーキンクスジェフ・ベックなどの錚々たる面々のレコーディングに参加していて、ロック史上における重要なセッション・ミュージシャンの一人とされるすごい人物です。
ホプキンスは早くからクローン病*1を患っていたためツアーへの参加が難しく、そのため駆け出しの頃と60年代後半のジェフ・ベック・グループへの参加を除けば、特定のバンドの正式メンバーになることはなかったので、ナイトへの参加は結構な驚きでした(当時はそういう事情は知りませんでしたけど)。
またマッキントッシュは当時売り出し中の若手プレイヤーで、ナイト解散後に成功を収めています。クリスチャンとバロンは無名のプレイヤーですが、どうやらジャズ・ロック系のセッション・ミュージシャンだったらしいですね。
バンドはトンプソンの伝手で、当時カーリー・サイモンやレオ・セイヤー、リンゴ・スターアート・ガーファンクルバーブラ・ストライサンドなどを手がけていたリチャード・ペリーに話を持ちかけ、契約を打診します。結果ナイトは見事ペリーのお眼鏡に叶い、彼が社長を務める新興レーベルのプラネットからデビューを果たすこととなるのでした。


Night - Hot Summer Nights


79年のデビューシングル。ビルボードで18位のヒットとなる他、オーストラリアでは3位に輝いています。
日本でもラジオでは結構な頻度でオンエアされていて、オリコンでそこそこの順位に入っていた記憶がありますね。いかにも当時の日本で受けそうな感じでしたし。
これはシンガーソングライターであるウォルター・イーガンのカバーで、哀愁味のあるキャッチーなメロディーの曲です。ラングのハスキーなヴォーカルもなかなか味がありますし、ホプキンスのピアノも渋く脇を固めています。
トンプソンは後にインタビューで「コンテンポラリーなアイク&ティナ・ターナー」的なものを目指したと言っていたのですが、どちらかと言うと歌謡ロックテイスト溢れるフリートウッド・マックって感じでしょうか。
まあ男女のツイン・ヴォーカルというバンド編成と言えば当時はフリートウッド・マックだったわけですし、当然そのへんは狙っていただろうとは思います。トンプソンが狙ってなかったとしても、プロデューサーのペリーは狙っていたはず。
ちなみにイーガンの原曲が収録されていたアルバム『To Shy』は、プロデューサーがフリートウッド・マックリンジー・バッキンガムですし、アルバムにはバッキンガム以外にやはりマックのメンバーであるスティービー・ニックス、ミック・フリートウッドも参加したため、イーガンもフリートウッド・マック・ファミリーに数えられてますね。


好調なスタートを切ったナイトですが、同年発売の1stアルバム『Night』(邦題は『真夏の夜の夢』)は、ビルボードで113位と惨敗しています。
このアルバムではドラムスがバロンではなく、リック・マロッタになっていました。彼はスティーリー・ダンリンダ・ロンシュタットとの活動で知られる腕利きのセッション・マンです。このへんはテコ入れなんでしょうかね。
またアルバムにはゲストとしてマイケル・マクドナルドドゥービー・ブラザーズ)やスティーブ・ポーカロTOTO)らが参加していたり、キャロル・ベイヤー・セイガーやトム・スノウ、マーヴィン・ゲイの作品を歌っていたりと、英国人中心のバンド(トンプソン、ラング、マッキントッシュ、ホプキンスは英国人)なのに思いっきりアメリカ向き仕様になっておりました。


Chris Thompson & Night - If You Remember Me


同じく79年リリースのシングル。ビルボード17位、全英42位。邦題は『幸せのかけら』。
キャロル・ベイヤー・セイガー作詞、マーヴィン・ハムリッシュ*2作曲の美しいバラードで、映画『チャンプ』のイメージソングとしてヒットしました。
実はこの曲は『チャンプ』のサントラではトンプソンのソロ名義で収録されているものの、シングルで発売するに当たって急遽「クリス・トンプソン&ナイト」とクレジットされたという曰くがあります。
多分プロデューサーのペリーの判断なんでしょうけど、サウンドも全然バンドっぽくないですし、本当にナイトの他のメンバーが関わっているのかどうかすら疑問なんですが。
ただこの曲がナイトの名義になっているおかげで、彼らはワン・ヒット・ワンダー扱いされることを免れているので、そのへんはなんとも複雑ですね。
でも曲としては普通に良いですよ。歌詞も『チャンプ』の世界観に沿ってますし、映画の内容を知ってから聴くと泣けるものがあります。


そんなこんなでいろいろありましたが、ナイトは翌80年に2ndアルバム『Long Distance』のレコーディングを開始します。
しかしこの頃ホプキンスとマロッタはバンドを離脱していました。まあマロッタは多分アルバムだけの契約だけだったんでしょうし、ホプキンスも前述の健康面での問題があって長期的な活動は難しかったでしょうから、これはもう仕方ないですね。
バンドは元ボックス・トップスのボビー・グイドッチ(ドラムス)、ボビー・ライト(キーボード)の二人を補充し、活動を続行します。


Night - Love on the Airwaves


『Long Distance』からのシングル。ビルボード87位。
前作に比べるとよりAORに寄った感じのソフト・ロックです。当時アメリカではこの手の音が流行っていたので、彼らも追従したのでしょう。
ただ彼らならではの個性が薄まって、平凡な出来になってしまった感は否めないでしょうか。この頃市場に溢れていた幾多の音との違いが見出せないんですよね。いや決して悪い曲ではないんですが。


シングル、アルバム(ビルボードで204位)ともにパッとしない結果に終わったナイトは、結局そのまま活動を停止してしまいます。
一応公式な解散声明が出されたのは82年でしたが、もうこの頃にはメンバーはそれぞれ別の活動に散っており、バンドとしてはまったく体を成していない状態でした。


メンバーのその後ですが、トンプソンはマンフレッド・マンズ・アース・バンドに戻りました。これはマンが彼のことを高く評価していたのも大きいのでしょう。
トンプソンはアース・バンドで活動しつつソロアルバムもリリースし、その合間にドゥービー・ブラザーズロビン・トロワーゲイリー・ムーアマイク・オールドフィールドアラン・パーソンズ・プロジェクトスティーブ・ハケットサラ・ブライトマンなど様々なミュージシャンの録音やライブに参加しています。もともとシンガーとしては素晴らしいものを持っていましたから、引く手数多なのも分かります。
また83年にはパット・シモンズ(ドゥービー・ブラザーズ)の来日公演にヴォーカリストとして帯同し、日本の土も踏んでいます。『Blinded By The Light』も歌ったそうですね。
ラングはシングルを何枚か出しましたが、その後はバックコーラスとしての活動がメインになっているようですね。チャカ・カーンティアーズ・フォー・フィアーズ、ワム!、スウィング・アウト・シスターエルトン・ジョンデフ・レパードらのレコーディングに参加しています。
また彼女は90年代からはスティービー・ヴァンに改名しており、その名義でソロ・アルバムもリリースしているらしいです。
メンバーの中でその後一番活躍したのはマッキントッシュでしょうか。彼は82年にプリテンダーズに加わり、クリッシー・ハインドの片腕として存分に腕を振るいました。
そしてその才能が高く評価され、88年にはポール・マッカートニーに請われてそのバンドに加わっています。彼は93年限りでそこを離脱していますが、ポールのバックとして活動したギタリストの中では一番上手かったと、今でも多くの人に認められています。現在はジョン・メイヤーと活動を共にすることが多いようですね。
ホプキンスはナイト離脱後いまひとつ目立った活動がありませんでしたが、92年から93年にかけて日本のテレビドラマ『逃亡者』『パ★テ★オ』『並木家の人々』のサウンドトラックを手がけ、久々に話題になりました。
しかし残念なことに翌94年、腸の手術後に合併症を併発して亡くなっています。享年50。
マロッタはその後もセッション・ドラマーとしての活動を続け、ホール&オーツ、スティービー・ニックストッド・ラングレンジャクソン・ブラウンピーター・ガブリエルなど多彩な顔触れのバックで、そのタイトなドラミングを披露しています。
また最近はテレビ番組の作曲家としても活躍しているそうですね。あまり作曲するイメージがなかったので意外でした。

*1:口腔から肛門までの全消化管に、非連続性の肉芽腫性炎症を生じる原因不明の炎症性疾患。寛解期と活動期を繰り返す慢性的疾患で、現在でも完治させることは不可能な難病。

*2:映画や舞台音楽の世界で活躍した作曲家。エミー賞グラミー賞アカデミー賞トニー賞ゴールデングローブ賞ピューリッツァー賞をすべて受賞した唯一の人物。