スティーブン・ダフィ/ライラック・タイム

どうもです。僕は相変わらず病院通いで金が飛んでいく状態ですけど、皆様お元気でしょうか。
まあ前置きはさておき、今回は前回からの繋がりということで、デュラン・デュランの初代ヴォーカリストだった、スティーブン・ダフィを取り上げてみましょうか。
彼が今やっているバンド、ライラック・タイムは、ネオアコのファンからは評判いいらしいですし、良い機会かなと思いまして。


ティーブン・ダフィは本名をスティーブン・アンソニー・ジェームス・ダフィといい、1960年に英国バーミンガムに生まれています。
彼が音楽の世界に入ったのはバーミンガム工芸学校(現在のバーミンガム市立大学)に通っていた19歳の頃で、偶然出会ったジョン・テイラーニック・ローズと意気投合し、彼らに誘われてデュラン・デュランの初代ヴォーカリストに就任することとなります。在籍時には作詞も担当していたらしいですね。
しかし加入後わずか半年で彼は学校を辞めることとなり、同時にデュラン・デュランも脱退します。この頃のデュラン・デュランって、まだスクール・バンドみたいな感じだったんでしょうかね。
ただ彼の音楽への情熱は脱退によって消えることはなく、81年にはサブタレイニアン・ホークス(のちにザ・ホークスに改名)というバンドを結成し、インディーズからシングルをリリースしています。


The Hawks - Words of Hope


これがそのシングルなんですが、早すぎたネオサイケって感じでしょうか。
とりあえず売れなさそうだな、とは思います。肝心の彼のヴォーカルも貧弱ですし。


このバンドはまったく成功することなく解散するのですが、ダフィはあきらめません。デュラン・デュランの成功が刺激になっていたところもあったのでしょうか。
彼は82年に元ファッションのジョン・マリガン(ベース、シンセサイザー)とディック・デービス(ドラムス)、ほんのちょっとだけデキシーズミッドナイト・ランナーズにいたことのあるアンディ・グロウコット(ドラムス)、初期のUB40をプロデュースしていたボブ・ラム(ドラムス)らの力を借りて、スティーブン・"ティン・ティン"・ダフィと名乗ってエレポップに転向、ポップスター路線でブレイクを図るのです。
ただ売り出しの際に付けられた「デュラン・デュランの創設メンバー」というキャッチフレーズが災いしたのか、最初から偏見に晒されて評価されるのには時間がかかったのですが。


Stephen 'Tin Tin' Duffy - Hold It


83年リリースのシングル。全英55位に入り、初のチャートインを果たしました。
ザ・ホークスの頃の面影はまったくなく、思いっきりダンサブルなエレポップに変貌を遂げています。まあ当時ありがちな曲ですけど、悪くはないんじゃないでしょうか。
ただダフィのヴォーカルは弱いですよね。別に音痴ではないんですが、いかにも線が細く、高音域も低音域もちゃんと出てません。少なくともポップスのシンガーには向いてない気がします。
もし彼がそのままデュラン・デュランにいたら、世界的ブレイクはなかったんじゃないでしょうか。ルックスだけならサイモン・ル・ボンに負けてないんですけど。


Stephen 'Tin Tin' Duffy - Kiss Me


85年リリースのシングル。全英4位のヒットとなり、彼は一躍ブレイクします。
相変わらずヴォーカルは弱いものの、メロディは非常にポップですし、サウンドも良く練り上げられていて、なかなかの曲なんじゃないでしょうか。
ちなみにこの曲は82年、84年にもシングルとしてリリースされましたが売れず、三度目の正直でようやくヒットしたというエピソードがあります。
華やかなルックスに似合わず、苦労人だったんですね。このへんは共感できます。


Stephen 'Tin Tin' Duffy - Icing on the Cake


これも85年のシングル。全英14位。
この曲もヴォーカルの弱さは気になりますけれど、メロディーは非常にいいと思います。個人的には『Kiss Me』より好きかも。
PVはかなり画質が良く、彼のイケメンぶりが十分堪能できるんじゃないでしょうか。しかし声だけでなく、見た目も線が細いんですね。


彼はアルバム『The Ups and Downs』(85年、全英35位)、『Because We Love You』(86年)という2枚のアルバムもリリースしています。後者では日本のバンド、サンディー&サンセッツの女性ヴォーカル、サンディーとデュエットもしています。


Stephen 'Tin Tin' Duffy - Something Special


これがそのサンディーとのデュエット曲。
ダフィとサンディーのヴォーカリストとしての力量が違い過ぎて、彼のヴォーカルの線の細さが強調されてしまっているのが難ですが、ちょっとファンクっぽくて新機軸に挑戦しているのはいいですね。


しかしこの頃彼のニックネームである「ティン・ティン」が、ベルギーの漫画家エルジェ側の訴えを受け(彼の作品に『The Adventures of Tintin』=日本では『タンタンの冒険』があったかららしい)、使用できなくなってしまいます。
これを機にダフィはポップスター路線を諦め、元ピッグバッグのロジャー・フリーマン(トロンボーン、キーボード、パーカッション)と組んで、ドクター・カルキュラスなるユニットを結成しました。


Dr. Calculus - Programme 7


彼らのシングル。こんなのも探せば出てくるんですから、動画サイトってすごいですね。
ハウス・ミュージックっぽいトラックに、ダフィの素っ頓狂なラップ(?)が載って、何とも言えない珍味に仕上がっています。個人的には嫌いじゃない音ですが、一般受けはしなかったようです。


結局ドクター・カルキュラスはすぐに解散し、ダフィは兄のニック・ダフィ、友人のマイケル・ウエストンと組んで、アコースティックバンドのライラック・タイムを結成します。
このバンドは名前をニック・ドレイクの『River Man』の歌詞から取っていて、最初からフォークに近い路線を考えていたようです。これまでの路線と違い過ぎてびっくりしますが、ダフィの細い声にはこういうサウンドのほうが合っているんじゃないでしょうか。


The Lilac Time - Return to Yesterday


88年デビューアルバム『The Lilac Time』からのシングル。全英82位。
もう清々しいくらいフォークソングですよね。でもメロディーの良さは相変わらずで、ダフィのソングライティングの才能を示しています。
ヴォーカルの線の細さも全然気にならないどころか、むしろ憂いを出す効果も出していて、このジャンルへの転向は大正解だったと思いますね。


The Lilac Time - You've Got to Love


これも『The Lilac Time』からのシングル。全英79位。
フィドルバンジョーの響きがトラッドを思わせる曲ですね。一時期のウォーターボーイズに似てるかもしれません。


The Lilac Time - Black Velvet


これも『The Lilac Time』からのシングル。全英99位。
アルバムのオープニングを飾る曲で、繊細なアコギの音色と美しいメロディーがいい感じで絡んでいます。


The Lilac Time - American Eyes


89年の2ndアルバム『Paradise Circus』からのシングル。全英94位。ビルボードのモダン・ロック・チャート28位。
ちょっとカントリーが入った感じで、牧歌的で優しく癒される曲ですね。


The Lilac Time - All for Love & Love for All


90年の3rdアルバム『& Love for All』からのシングル。全英77位。ビルボードのモダン・ロック・チャートで22位。
XTCのアンディ・パートリッジがプロデュースをしているせいか、ちょっとビートルズが入った感じに仕上がっています。ややひねくれた感があるのも、パートリッジの影響でしょうか。


ライラック・タイムは91年に一度活動を停止し、ダフィはソロとして歌ったり、デュラン・デュラン時代の同僚で旧友のニック・ローズとザ・デビルというユニットを組んでアルバムをリリースしたりするなど、マイペースで活動していました。
しかし99年には兄のニック、マイケル・ギリ、メルヴィン・ダフィ(同姓だがダフィ兄弟との血縁はない)、クレア・ウォラル(のちにダフィの妻になる)とともに、ライラック・タイムを再始動させ、以前にも増して切ないアコースティック路線を展開し、コアなファンを掴んでいるようです。
またダフィはソングライターとしての才能も発揮しており、カナダのベアネイキッド・レディースのミリオンセラー『Stunt』に曲を提供したり、元テイク・ザットロビー・ウィリアムスに提供した『Radio』で全英1位を獲得するなど、なかなかの活躍を見せています。もともとメロディーメイカーとしては定評のある人でしたので、こういう形で評価されるのは嬉しいですね。
袂を分かったデュラン・デュランのように派手にブレイクとはいきませんでしたが、こういう地味だけど玄人受けする活動というのも悪くないと思いますので、これからものんびり続けていってほしいものです。