クラーク・ケント

どうもです。もういくつ寝るとお正月ですね。
こちらは仕事のほうも峠をようやく越え、だいぶ楽になってきました。今年は気楽に年末年始を迎えられそう。
とは言え疲れが溜まっているのか、いまいちやる気が出ないので、ちょっと変り種を紹介して、お茶を濁す事にしようと思っているのですが。
というわけで、今回はクラーク・ケントです。これを覚えている人はどれくらいいるんだろう。


クラーク・ケントは78年に、シングル『Don't Care』でA&Mレコードからデビューしたシンガーです。
彼はスーパーマンの地球での名前である、クラーク・ケント(Clark Kent)をもじったネーミングを名乗り、その素顔を明かさない覆面歌手でした。
これだけ書くと単なるイロモノっぽいですが、ともあれ『Don't Care』は全英48位という小ヒットとなり、日本でも『ミュージックライフ』誌などで紹介されてましたっけ。
日本では何故か「クラーク・カント」という表記がされていたのですが、商標権とかの問題とかあったんですかね。


Klark Kent - Don't Care


これがそのシングル。
確たる特徴はないものの軽快な曲で、いかにもニューウェーブらしいと言えるんじゃないでしょうか。


実はこのクラーク・ケント、正体はポリスのドラマーとして活躍していたスチュワート・コープランドでした。本人もあまり隠す気がなかったのか、すぐに正体は割れていた記憶がありますね。
ポリスのメンバーは後にヴォーカル&ベースのスティングがソロになりますし、ギターのアンディ・サマーズもポリス在籍時に、あのロバート・フリップとのコラボでアルバムを出してるんですが、実は一番早くソロ活動していたのがコープランドなのでした。
コープランドはドラムの叩き方こそ斬新でしたけど、ソロとかって感じの人じゃないと思ってたので、これはちょっと意外でしたね。
しかもドラマーのソロって大抵ドラムの腕前を誇示するものになりがちなんですけど、かなりの達人であるコープランドが全然ドラムを強調せず、普通にポップな楽曲を提示してきたことも興味深かったです。


Klark Kent - Don't Care


これは同年にBBCの人気番組、トップ・オブ・ザ・ポップスに出演した時の映像です。
コープランドをはじめ全員が覆面をしていますが、後ろのメンバーはスティング、サマーズ、当時ポリスの共同マネージャーだったキム・ターナーだそうです(あと一人は知らん)。
いかにもお遊びって感じなんですが、この余興感が逆に肩が凝らなくていいかな、という気もしますね。


とりあえずコープランドの説明もしておきましょうか。
彼は1952年に、米国バージニア州アレクサンドリアで生まれています。父のマイルズ・コープランドJr.は、CIAのエージェントをしたり中東でフリーランスの政策アドバイザーをしていた人物です。そのためコープランドは生後数ヶ月でエジプトのカイロに移り、その後レバノンベイルートに転居し、少年期をずっと中東で過ごしています。
余談ですが兄のマイルズ・コープランドIII世は、後にIRSというレーベルを運営し、ポリスをデビューさせた他、オインゴ・ボインゴスクイーズなどを手がけています。またもう一人の兄のイアンも、後にマイルズIII世とともにポリスのマネージャーを務めています。
12歳の頃中東でドラムを始めたコープランドは、15歳の時に中東の政情不安により英国に渡ってそこで学び、その後本国に帰ってカリフォルニアの大学に通いました。
しかし音楽への情熱は止み難く、大学卒業後に英国に戻り、プログレッシブ・ロックのバンドであるカーブド・エアのオーディションを受けて合格し、正式メンバーとして加入、2枚のアルバムに参加しています。
そしてカーブド・エアのメンバーとして英国各地をツアーしていた頃、ジャズロックのバンド、エグジットのメンバーとして活動していたスティングと出会い、その腕前とスター性に惚れこみました。
カーブド・エア解散後、コープランドはスティングを説得して一緒にバンドを組むことを承諾させ、フランス人ギタリストのアンリ・バドヴァーニも加入して、ついにポリス結成となるのです。そこに至るまでのイニシアチブを取ったのがコープランドなわけですね。
後にサマーズが加入しバドヴァーニが抜け、ポリスはトリオとしてパンク・ムーブメントの波に乗ってデビュー、瞬く間にスターダムにのし上がりビッグバンドになったのは周知の通りです。
コープランドのドラミングは、バスドラでバックビートを打つという個性的なものでした。今でこそ珍しくはありませんが、当時はそういう叩き方をするのはレゲエの人たちくらいだったので、すごく斬新に感じた記憶がありますね。
またプログレ出身らしくテクニックも巧みで、特に手数の多いハイハットワークは、上手いなあと感心させられます。ニューウェーブ界隈から出てきたドラマーの中では、一番上手いんじゃないでしょうか。


話が思いっきり飛んでしまいましたが、クラーク・ケント名義での活動は、その後もしばらく続きます。


Klark Kent - Too Kool To Kalypso


78年リリースの2ndシングル。グリーンのカラー・レコードでリリースされました。
曲自体は何とも言えませんが、78年の時点でカリプソを取り入れているところが新しいですね。
コープランドはポリス解散後、ワールド・ミュージックに大幅に接近したアルバムを出すのですが、この頃からその萌芽が見て取れるのが興味深いです。


Klark Kent - Away From Home


79年リリースの3rdシングル。
PVがあるのに驚きました。当時日本では絶対流れなかったでしょうしね。動画サイトすごい。
全部一人でやってるっぽいところが、いかにも趣味の音楽活動って感じで、ほのぼのとしていて好感が持てますね。


デビュー曲以外は売れなかったんですが、80年にはアルバム『Klark Kent』(邦題は『ミステリアス・デビュー』)もリリースしています。
なんでもこれらの曲のほとんどは、ポリスで演奏するために書き下ろしたものだったんですが、スティングにボツにされたために、自分で演奏して歌ったらしいですね。ちなみにコープランドは『It's Alright for You』(スティングとの共作)など、ポリス初期にはいくつかの作品を提供しています。
しかし『Don't Care』以降の作品は特に反響を呼ばず、クラーク・ケントとしての活動は、さすがにこれが最後になったようです。


ポリス解散後コープランドはソロアルバムをリリースしたり、映画のサントラを制作したり、ピーター・ガブリエルらのアルバムに参加したり、プライマスのレス・クレイブールらとバンドを組んだりと、精力的に活動していました。
一時再結成ドアーズに加入したことは前に書きましたけど、これは負傷のため離脱したところクビになり、相互に民事訴訟を起こして戦うという最悪の顛末になったらしいです。
そして07年にはポリスを再結成し、ワールドツアーも敢行しています。演奏を全て3人で行うなど、それぞれの技量が思いっきり発揮された内容になったようですね。
また彼は10年の「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において、7位に選ばれるなど、現在も大変評価の高いドラマーです。


今年の更新はこれが最後となります。
いつも読んで下さって、どうもありがとうございます。飽きっぽい僕がこのブログを続けていけるのも、全部皆さんのおかげですので。
また来年もよろしくお願い致します。それでは、ちょっと早いですけど良いお年を。