ディーヴォ

どうもです。
先週はお休みしてしまったんですが、実は短期の入院をしていました。
と言っても急病とかではなく、ずっと患っている持病の関係で、精密検査をするために大学病院の専門病棟に入っていたんですね。
その結果いろいろ面倒なことが分かって、治療方針をかなり見直す必要が出てくるようなんですが、とりあえず療養していればなんとかなりそうなので、まあそれについては仕方ないかなと。
もう何十年も付き合っているんで、今さら焦ってもしょうがないことは分かっています。よほど悪化しなければ死んだりはしないと思いますので、ゆるゆるとやっていきます。


どうでもいい話はさておき、今回はディーヴォの完結編をいってみようかと思います。
日本の洋楽リスナーが知っているのは大体前回まででしょうし、実際本国でも売り上げは減少の一途をたどっていったんですが、なんだかんだ言いつつも彼らは息の長い活動を続けていました。
音楽的にそんなに重要な感じではないので、駆け足でさっと振り返る感じになってしまいますが、お気楽な感じで読んで頂ければ何よりです。


81年に入ると彼らは再びテクノポップに回帰し、シンセ中心の音作りをしていくようになります。
ただこの頃になるとテクノポップという手法は、普通にポップスやロックの中で用いられるようになっていたため、彼らのサウンドから初期のような斬新さを感じることはなくなりました。それでもシンセの使い方に、他のバンドとは一味違う個性が出ていたのはさすがでしたが。


Devo - Workin' in A Coalmine


81年のシングル。ビルボードで43位。
これはアラン・トゥーサンの作品で、66年にリー・ドーシーが歌ってビルボードで8位のヒットとなった曲のカバーです。往年のR&Bの名曲をテクノ風味でアレンジしており、とぼけた味のある一曲に仕上がっていますね。
この曲は『Heavy Metal』という映画のサントラに提供されたものです。映画自体は観ていない(アニメらしいです)んですが、サントラにはチープ・トリック、ジャーニー、ブラック・サバスブルー・オイスター・カルトグランド・ファンク・レイルロードスティービー・ニックスフリートウッド・マック)、ドン・フェルダーイーグルス、テーマソングはこの人の曲だった)、サミー・ヘイガー(後にヴァン・ヘイレン)、ナザレス、ドナルド・ブェイゲン(スティーリー・ダン)といったものすごいメンバーが楽曲を提供しており、僕も当時買った記憶があります。


同年彼らは、4thアルバム『New Traditionalists』をリリースしています。
このアルバムは基本的にシンセ主体のテクノポップなんですが、シンセベースがファンクっぽいリズムを刻んだりと、いろいろ彼らが新機軸を模索しているんだな、ということは理解できる一作です。ただどことなくインパクトに欠け、日本ではこのあたりで完全に終わったバンド扱いをされるようになってしまいましたが。ビルボードで23位、全英50位。


Devo - Beautiful World


『New Traditionalists』からのシングル。ビルボードで102位、オーストラリアで14位、ニュージーランドで15位。
シンプルでミニマムなテクノポップですが、PVのシュールでシニカルなところは、いかにもディーヴォらしいです。


Devo - Through Being Cool


これも『New Traditionalists』からのシングル。ビルボードで107位(ダンス・チャートでは32位)。
確かこの曲は『渋谷陽一サウンドストリート』で聴いたんですよね。あまり売れそうな気はしないですが、なかなかユーモラスで面白い感じの曲だなとは思いましたっけ。
なおPVでメンバーが被っているズラみたいなものは「ニュー・トラディショナリスト・ポンプ」といい、ジョン・F・ケネディの髪形を模して作られたヘッドギアなんだとか。彼らは前回紹介したエナジー・ドームなど様々なアイテムを作っていますが、マークもジェリーもこれが一番のお気に入りだと言ってますね。


翌82年になると、彼らは5thアルバム『Oh, No! It's Devo』をリリースします。
このアルバムでは驚いたことに、クイーンやカーズ、フォリナー、ジャーニーなどを手がけた大物ロイ・トーマス・ベーカーをプロデューサーに迎えています。やはりヒットが欲しかったのでしょうか。
この組み合わせは普通に考えればミスマッチに終わりそうな気がするのですが、初期のようなエッジこそなくなったものの違和感はさほどなく、スムーズでダンサブルなテクノポップが展開されています。
ただやはり聴き手がディーヴォに求めるのは、奇妙な音だということなのでしょうか、内容の充実ぶりにも関わらず売り上げはいまいちでした。ビルボードで47位。


Devo - Peek A Boo


『Oh, No! It's Devo』からのシングル。ビルボードで106位(ダンス・チャートでは13位)、オーストラリアで45位。
ダンサブルでおどろおどろしくてバカバカしい、後期ディーヴォの真骨頂だと思います。
なお途中で登場するピエロのキャラクターは「スパッズ・アタック」という名で、『(I Can't Get No) Satisfaction』のPVで痙攣していたクレイグ・アレン・ロズウェルが演じています。彼は日本のバンドMELONに在籍していたため滞日経験もあり、細野晴臣のユニットFOEの楽曲にラッパーとして参加したこともあります。


Devo - That's Good


これも『Oh, No! It's Devo』からのシングル。ビルボードで104位(ダンス・チャートでは6位)。
彼ららしいアクの強さには欠けるところがありますが、ポップで分かりやすくていい曲だと思います。
ただPVのセコさはねえ。『Peek A Boo』と衣装もセットも一緒で、バックに流れる映像だけが違うというのは、すでにMTV全盛の時代だったとは思えないくらいのお粗末さで、これじゃセールスが低下しても仕方ないと思わせてくれます。


Devo - Theme From Doctor Detroit


83年のシングル。ビルボードで59位、全英98位。
『Oh, No! It's Devo』の路線の延長線上にあるサウンドで、シンプルなテクノポップです。今聴くとおもちゃみたいなシンセの音が懐かしいですし、PVもユーモラスな感じで良いです。
ちなみにこれは映画『Doctor Detroit』(邦題は『ダン・エイクロイドのDr.デトロイトを探せ!』)という映画の主題歌で、彼らが最後にビルボードの100位以内に入った曲です。映画は観てませんけど、本当にひどい内容だったらしいですね。どこかのサイトに「PVのほうが出来がいい」「ディーヴォに監督をやらせた方がよかった」などと悲惨なことが書いてありました。


84年には6thアルバム『Shout』がリリースされました。
このアルバムはサンプラーやデジタル・シンセを使いまくり、かなり派手な仕上がりではあったんですが、過去のヒット曲からの引用が多いあたり、どうしたら売れるだろうと模索している感が見えるような気がして、一抹の寂しさを感じましたっけ。ビルボードで83位と売れず、彼らはワーナーとの契約を失うこととなります。



ちなみにジャケットに写っている少年は、LSDなどの幻覚剤による人格変容の研究を行った、心理学者ティモシー・リアリーの継子ザックくんだそうです。
なおリアリーは彼らのビデオ作品『We're All DEVO』にドクター・バースフード役で出演するなど、ディーヴォとは何気に縁が深い人物です。


Devo - Are U Experienced?


『Shout』からのシングル。
あのジミ・ヘンドリックスの『Are You Experienced?』のカバーです。ディーヴォとジミヘンって普通に考えるとあまり結びつかない気もするんですが、これはやはり原点回帰なんですかね。
PVでも棺桶からジミヘンのそっくりさんが登場して、歯でギターを弾くなど遊びまくってますね。なお途中のギターフレーズは、やはりジミヘンの『Third Stone From The Sun』からの引用です。


さてセールス不振でワーナーから切られてしまったディーヴォは、一時活動休止状態に置かれ、85年にはドラムスのマイヤースも脱退してしまいました。
しかしバンドは後任に元スパークスのデヴィッド・ケンドリックを迎え、インディー・レーベルのエニグマと契約して、88年には7thアルバム『Total Devo』をリリースします。
もう当時はディーヴォとか終わったバンドだろ、みたいな感じで、はっきり言って惰性で聴いてたんですが、珍しく泣きの要素なんかも入っていて、それほど悪くないアルバムだとは思いましたっけ。ただシンセ中心のサウンドが世間ですっかり使い古されていたため、レトロな感じさえ覚えてしまいました。ビルボードで189位。


Devo - Disco dancer


『Total Devo』からのシングル。ビルボードのダンス・チャートで45位。
初めて聴いた時には、ディーヴォがここまで真っ当にダンスフロアに接近した音を出すのかと、妙に感慨深かった覚えがありますね。
なおこのPVでのスーツは、「ディーヴォ・ワールドサーヴィス・ユニフォーム」といい市販もされました。メンバーの着ている赤と青の男性用以外に、女性用の白(バックシンガーが着ているやつ)もあったのが特徴です。


そんなこんなでバンドは続き、90年には8thアルバム『Smooth Noodle Maps』(邦題は『ディーヴォのくいしん坊・万歳』)をリリースしました。
このアルバムはもう邦題からして聴く気がなくなりそうだったんですが、音は前作の延長線上の路線です。もはやシンセを使用する音楽は巷に溢れかえっており、それらの音と彼らの音はほとんど大差がなくなっていました。要するにありきたりのシンセポップだったわけですね。もうディーヴォの名でこういう音を出す必然性がないような気がして、ちょっと困ってしまいました。
なお僕は知らなかったんですが、日本盤の訳詞を山形浩生がやっていたんだそうですね。まあパティ・スミスニック・ケイヴの本も訳している人ですから不思議はないっちゃないんですが、とりあえず小ネタということで。


Devo - Post Post-Modern Man


『Smooth Noodle Maps』からのシングル。ビルボードのダンス・チャートで26位。
音は普通のシンセポップですが、歌詞はピート・シーガーの『If I Had Hammer』(邦題は『天使のハンマー』)を流用しつつ、原曲の「皆に対して愛を訴える」というメッセージをひん曲げて自己の欲望を充足させる内容にしていて、彼らなりの毒のあるユーモアを発揮しています。


しかし『Smooth Noodle Maps』はさっぱり売れず、おまけに所属レーベルのエニグマも倒産してしまいます。
メンバーはバンドとして活動することの意義に悩み、91年には事実上活動を停止しました。マークとボブ1号、ボブ2号は音楽制作会社『Mutato Muzika』を設立し、映画音楽(『サウスパーク』や『ラグラッツ』なんかも担当したらしいです)やCM音楽、ドラマの音楽などを多く手がけました。またジェリーはビデオ・ディレクターに転進し、矢野顕子やブラマンジュ(懐かしい)などのPVを監督しています。
そんな状態でもディーヴォとしての活動は散発的に行われていたようです。そして95年にはまた意欲が出てきたのか、オリジナル・メンバーのジェリー、マーク、ボブ1号、ボブ2号に加え、ヴァンダルのメンバーでスイサイダル・テンデンシーズにも在籍経験のあるジョシュ・フリーズ(ドラムス)を新たに迎え、ディーヴォは正式に再出発を果たすこととなるのです。
なおフリーズは一応正式メンバーではあるものの、あちこちと掛け持ちすることが認められているようで、後にディーヴォに籍を置きつつガンズ・アンド・ローゼズのドラマーも務めていますし、他にもアヴリル・ラヴィーンやスタティック-X、スティング、ナイン・インチ・ネイルズマイリー・サイラスケイティ・ペリーウィーザージョー・コッカーリッキー・マーティンブルース・スプリングスティーンらのアルバムに参加したりバックで叩いたりしています。基本仕事は選ばない人のようで、日本のB'zや土屋アンナPASSPO☆のバックで叩いたこともありますね。
彼らはロラパルーザに参加したり映画音楽を作ったりと、いろいろな活動を活発に行っていきます。03年にはサマーソニックのために23年ぶりに来日し、日本のオールドファンを喜ばせてくれました。
また06年には「ディーヴォの曲を少年少女に歌わせる」というコンセプトのディーヴォ2.0というバンドを支援し、アルバムをリリースさせるといった不思議な活動を経て、07年にはついに17年ぶりの新曲『Watch Us Work It』を発表し、こちらを驚かせるのです。


Devo - Watch Us Work It


07年のシングル。
児童向けケーブルチャンネルのニコロデオンで放送された番組『Yo Gabba Gabba!』で使われた映像(制作されたのは10年)のため、当然ですが子供を意識した内容になっていて面白いです。
サウンドはおもちゃみたいに可愛げがあって、テクノポップがすっかり過去のものとなってしまった今となると、一周回って魅力的に聞こえてきます。
メンバーはすっかり年を取ってしまいましたが、エナジー・ドームに短パンで頑張っていて、その雄姿には胸が熱くなります(お前だけだ)。


その後ディーヴォは10年に、ワーナーから20年ぶりの9thアルバム『Something for Everybody』をリリース、これをビルボードで30位(全英164位)とヒットさせ、健在ぶりをアピールしました。
このアルバムはYouTubeで何曲か聴いただけなんですが、アッパーでポップな曲調のものが多く、それでいてねじれたユーモアも垣間見え、なかなかいけるんじゃないかと思いましたね。
またこの年には彼らはバンクーバー五輪のステージでも演奏し、青いエナジー・ドームを被って頑張ってました。
14年にはボブ2号が心不全のため亡くなってしまった(享年61)んですが、現在もバンドは4人で活動を続けています。


最後に元メンバーの消息も書き記しておきましょう。
初期のジェリーの相棒であり、ともに「De-Evolution」のコンセプトを話し合ったボブ・ルイスは、ディーヴォワーナー・ブラザーズと契約した後、バンドへの貢献に対する補償を求めます。
しかしディーヴォ側がそれを拒否したうえ、バンドのコンセプトはルイス側が権利を有していないという判断を求めるため訴訟を起こし、それに対してルイスもディーヴォ側を知的所有権の侵害を主張して訴え返したため、泥沼の裁判闘争になってしまいました。和解後はシリアのダマスカスでコンサルタントを務めたり、中東での特派員として活動したりと、音楽からは離れてしまったようですね。
初期にパーカッションとして在籍していたマークとボブ1号の弟ジムは、一時期ディーヴォのツアー・エンジニア兼マネージャーを務めていましたが、その後ローランド社にエンジニアとして入り、MIDI規格の開発と確立に貢献しています。
85年に脱退したドラムスのマイヤースは、ロサンゼルスで主に実験音楽の分野で活動していましたが、13年に胃癌のため亡くなっています。享年58。
マイヤーズの後任ドラマーだったケンドリックは、一時マークらの音楽制作会社『Mutato Muzika』で働いていたほか、フリーズが不在の時にドラムを叩くなど、ディーヴォとは友好的な関係を続けています。03年のサマーソニックでも彼が叩いていました。
またディーヴォのメンバーではありませんが、最初期にジェリーやルイスとともに活動したピーター・グレッグは、ロサンゼルスのスタジオでエンジニアになった後、カメラマンやMTVのスタッフを経て、現在はプロレス団体WWEでテクニカル・ディレクターを務めているそうです。